小林繁伝

「確執騒動」終結も、残った火種 虎番疾風録其の四(30)

留任が決まり、戸沢社長(右)と会見する阪神の金田監督=1973年12月
留任が決まり、戸沢社長(右)と会見する阪神の金田監督=1973年12月

昭和48年も押し詰まった12月28日、江夏VS金田監督の『確執騒動』がようやく終結した。

25日に江夏から「謝りたい」の言質を取った阪神・戸沢球団社長が26、28日と金田監督と会談。「水に流します」と言わせたのだ。なかなかの執念である。

「いろいろ曲折はあったが、留任が決まりました。これを教訓とし今後は二度とゴタゴタを起こさないよう努力します」と戸沢社長は安堵(あんど)の表情を浮かべた。社長はただ「辞めないでくれ」と頭を下げたわけではない。26日の会談で金田監督から提案された〝3つの要求〟をすべてのんでの慰留だった。


①組織を優先させ、個人の放任は許さない

②チームの機密を漏らす者の処分を強化する

③球団フロントは毅然(きぜん)とした姿勢でチーム作りに臨む


監督から球団へ出された要望としては前代未聞の内容である。

会見に臨んだ金田監督の表情は晴れてはいなかった。それは、言いたい放題に監督を批判して統制を乱し、騒動の原因を作った江夏を球団は「不問」としたからだ。

「処分は具体的に考えていない。でも、今後は組織を乱す者には厳罰で臨みます」と戸沢社長は語った。

けったいな球団である。では、なぜ、金田監督は翻意したのか。それは選手たちからの熱い慰留があったから。選手会長の田淵幸一が「選手はみな監督に残ってもらいたい―と思っている」と伝えていた。そしてもうひとつは、何としても球団の〝面目〟を保ちたい―とする戸沢社長の熱意に負けたからである。

これで、本当に「騒動」は解決したのだろうか。筆者の師匠・平本先輩は解説記事の中でこう指摘している。

「火は消した。だが火種は残った。球団は誰にもペナルティーを科さず水に流すという。臭い物にフタをする〝事なかれ主義〟の見本のようなものだ。阪神の体質は何も変わらなかった。かぶせたフタはチーム状態が悪くなればすぐに飛んでしまうだろう。こんな調子で問題処理に当たっている限り、阪神の健全な発展は望めない」

平本先輩の指摘は〝予言〟となった。(敬称略)

■小林繁伝31

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