話の肖像画

谷垣禎一(16)野党転落 火中の栗拾い総裁に

野党に転落した自民党で総裁を務めた(右から2人目が本人) =平成21年9月
野党に転落した自民党で総裁を務めた(右から2人目が本人) =平成21年9月

>(15)にもどる

《平成21年9月、退陣した麻生太郎元首相(自民党総裁)の後継を選ぶ総裁選に出馬した。自民党は直前の衆院選で歴史的惨敗を喫し、野党に転落。野党として行う総裁選は、河野洋平元衆院議長を選出した5年以来だった。「ポスト麻生」の本命とみられていた舛添要一元厚労相らは出馬せず、谷垣さんはまだ閣僚経験のなかった河野太郎前行政改革担当相、西村康稔前経済再生担当相を大差で破って第24代総裁に選出された》


18年の総裁選にも出馬していましたから、「何かあったら出る」ぐらいの気持ちはどこかにあったと思います。「自然の流れ」と言っては言葉が過ぎるかもしれませんが、そんな感じでしたね。当時は河野さんや西村さんもまだ若手。他に手を挙げてもよさそうな人がいたけど、挙げなかったですよね。ああいうときは、なかなか火中の栗を拾う気分にはなれないものなのかもしれません。

だけど、誰かがやらなきゃならない。そういうときには、ドンキホーテがいなきゃだめだということでしょうか(笑)。あの年の衆院選では、僅差じゃなくて、うんと負けていたのですから、批判されてもしようのないことです。逆にいつでも勝てる態勢だったら、ちょっとした失敗が命取りになるかもしれない。ものは考えようですよ。


《21年8月の衆院選で、民主党は単独過半数(241議席)を大幅に上回る308議席を獲得して第1党に躍進。自民党は119議席に落ち込み、党内は意気阻喪していた。谷垣さんは挙党態勢を整えようと「みんなでやろうぜ」と呼びかけた》


当初は「自民党は今後10年は雌伏かな」と思っていました。英国では、保守党から労働党に政権が移った1997(平成9)年以来、労働党政権が10年以上続いていたのです。日本の保守政党である自民党も、いったん政権を失ったら、10年ぐらいは野党暮らしを覚悟しなければいけないかもしれない。政権を取り戻すのはそう簡単ではないだろうと考えていました。

しかし、自民党は与党慣れした政党です。与党の中でしかるべきポジションを持ち、そこで仕事をしたいというのが、自民党の人の基本的な考え方ですから、野党暮らしが好きな人はあんまりいないと思うのです。長引けば、能力や野心のある人は不満が高まってくる。「そんなに長い間野党でいられるもんか」という流れも、どこかに出てくるわけですね。そういう感じは(平成5年に誕生した非自民連立の)細川護熙政権のときに強く受けていました。

しかも、与党のときは(党内が主流派と非主流派に分かれるなどして)総裁の下で一糸乱れず、という姿にはなかなかならない。まして野党なら、放っておくとばらばらになるかもしれない。そうだとすれば、こういうときは全員野球というか、できるだけみんながまとまっていくしかやりようがないと思いました。それで「みんなでやろうぜ」を標語に掲げたのです。


《政権復帰に向けて早々に取り組み始めたのが「ふるさと対話集会」だった。全国各地の集落や離島を回り、地域の人と車座になって語り合う地道な活動だ。24年12月に政権を奪還した後も続けられた》


私が初当選した昭和58年の衆院補欠選挙で、加藤紘一元幹事長ら応援に入ってくれた先輩方が、10~15人程度の小さな集会をたくさんやってくれたんです。これは地域住民がひざを突き合わせて話し合う、日本の民主政治の原型。これに党を挙げて取り組んだのが「ふるさと対話集会」でした。平成23年3月の東日本大震災以降は、原発事故の影響で立ち入りできない地域を除き、ほとんどの被災地を回ったと思います。国民の声を謙虚に聞く「ふるさと対話」が、後に与党に返り咲く原動力になったと信じています。(聞き手 豊田真由美)

(17)にすすむ

会員限定記事会員サービス詳細