朝晴れエッセー

100番通話・4月16日

3月21日は、私が20歳で親元を離れ、大阪で就職した日である。もう53回目の記念日がきた。

一間のアパートで、先に来阪していた兄との生活が始まった。ホームシック気味の私の楽しみは、給料日にお金を握りしめ、近くのたばこ屋の公衆電話から故郷の両親に100番通話で電話することだった。

当時は10円玉しか使用できず、長距離通話は膨大な数の10円玉が必要で、入れるのも大変である。そこで100番を回してオペレーターに電話をつなぎ、終了後電話を切ると、折り返しの電話がきて料金が告げられ、それを設置店に支払う仕組みだ。

実家にも電話などないから、隣の家に電話して、呼びだしてもらう。当時隣家には3~4歳くらいの子供がいて、好奇心一杯、電話のベルが鳴ると飛びついて取る。

「○○ちゃん、隣のおじちゃんかおばちゃんを呼んできて」と告げると「分かった!」と答えてくれたのはいいが、勢いよく受話器を「ガチャン」と置いてしまった。

あっ!という間に今月の電話予算はなくなってしまう。かわいすぎて怒るに怒られず苦笑するしかない。その子が成長するまで何回かこんな事故(?)が起こった。今では笑い話だが、あの子もきっといいおじさんになって、子育てに苦心したかもしれないなあ…。

目まぐるしく時代が変わり、家に固定電話を引き、PHS→携帯→スマホを使う羽目になった。100番通話もなくなった。便利なデジタル化時代は望むところだが、たまにアナログなやり取りを懐かしく思う。やっぱり年を取ったということか…。

赤松孝子(73) 大阪府摂津市

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