拉致被害者の松本京子さん 兄が動画に込めた苦悩の45年

毎年米子市で開催されている拉致問題啓発パネル展。市民らが理解を深めている=平成28年
毎年米子市で開催されている拉致問題啓発パネル展。市民らが理解を深めている=平成28年

政府認定の北朝鮮による拉致被害者の一人、松本京子さん=拉致当時(29)=の出身地・鳥取県は3月末、拉致問題理解促進のためのDVDを独自に製作した。被害者家族連絡会(家族会)のメンバーで京子さんの兄の孟(はじめ)さん(75)と、京子さんの職場の同僚だった女性がインタビューに答え、早期解決を訴える内容。孟さんが講師を務め、県が10年以上前から実施している拉致問題人権学習会で活用する予定だが、DVD製作の背景には近年浮き彫りになっている被害者家族の切実な事情があった。

負担軽減がねらい

「拉致被害者やご家族の高齢化が進んでいる。今後、松本孟さんが遠隔地などの講演先に出向けないケースが出てくるかもしれない。その補助として製作した」

県人権・同和対策課係長の杉野浩之さんは、DVD「みんなで知って考えよう 鳥取県の拉致問題」製作のねらいをこう説明した。

«松本京子さんは昭和52年10月21日、「編み物教室に行く」と言って、日本海にほど近い鳥取県米子市の自宅を出たまま行方不明になった。自宅から約200メートル離れた場所には、京子さんのサンダルが片方だけ残されていた»

孟さんは平成20年度から、学校や職場、地域などで開催されている拉致問題人権学習会へ出向き、京子さんを失った家族の痛切な思いを吐露している。

令和3年度末までの通算開催回数は138回となり、開始から14年が経過しその分だけ年齢を重ねた孟さんにとって、最近は移動だけでもかなりの負担になっている。米子市在住の孟さんが鳥取市で講演する場合には移動だけで2時間近くもかかる。そうした負担を少しでも軽減するための代替手段がDVDだ。

拉致問題理解促進DVDで、被害者の松本京子さんの早期帰国への協力を呼びかける兄の孟さん(鳥取県提供)
拉致問題理解促進DVDで、被害者の松本京子さんの早期帰国への協力を呼びかける兄の孟さん(鳥取県提供)

もう一度、妹の姿を

「私自身も生きているうちに、もう一度だけでいい、妹の姿を見て、元気な姿を見て、自分のしたいことをさせてやりたい」

孟さんはDVDの中で、そう訴える。約14分間の映像では、京子さんが突然いなくなってから「どうすることもできず月日が流れ、(家の中でも)軽々しい言葉は使えず、笑い声は出しにくい味気ない生活になった」と打ち明ける。

母親の三江(みつえ)さんは当時、「海岸沿いを『京子、京子』と叫びながら、来る日も来る日も捜し回った」(孟さんの別の講演)という。DVDで孟さんは「(だれよりも)一番、顔を見たかったろう、元気な姿を見たかったろう」と三江さんの心中を推し量っている。その願いはかなわず三江さんは平成24年、89歳で亡くなった。

帰国に向けたタイムリミットが迫っていることは、ここ数年の家族連絡会の変化が如実に物語っている。一昨年には有本恵子さん=拉致当時(23)=の母、嘉代子さんが94歳で、横田めぐみさん=同(13)=の父、滋さんが87歳で、昨年には田口八重子さん=同(22)=の兄、飯塚繁雄さんが83歳で、相次いで亡くなった。孟さんも講演などで県内を走り回るには、体力的にきつい年齢に入っている。

拉致問題理解促進DVDのパッケージ(鳥取県提供)
拉致問題理解促進DVDのパッケージ(鳥取県提供)

拉致は人権侵害

鳥取県が国とともに平成22年から12年連続で開催している「拉致問題の早期解決を願う国民のつどい」も、長い時間の経過を物語る行事。毎回、孟さんのほか、拉致の可能性が否定できない、鳥取県関係の特定失踪者家族らが参加し、早期解決を訴えるが、事態は膠着(こうちゃく)したままだ。

「この催しが早くなくなるようにしたい」「『この集いがなくなる』=『拉致問題の解決』となることが一番よい」。昨年の国民のつどいの参加者からは、怒りににも似たこんな感想が寄せられている。

日本海を挟んで北朝鮮までの距離が近い鳥取県は、拉致問題に力を入れており、学習会や国民のつどいのほか、毎年12月の北朝鮮人権侵害問題啓発週間や京子さんが拉致された10月には、パネル展を開催。問題を漫画で分かりやすく伝えるリーフレットも作成し、「拉致は人権侵害。ひとごとではない」と呼びかけている。

9年前の松本孟さん。今も人権学習会などで精力的に講演活動を続けている
9年前の松本孟さん。今も人権学習会などで精力的に講演活動を続けている

一方で、長期化による記憶の風化が指摘されている。DVDの中で、京子さんの元同僚の女性は「拉致のことを思い出してほしい。どうか忘れないで」と呼びかけている。

そして、孟さんはこう訴える。「帰国がかなったら、思いのままに自由に生きてほしい。そういう務めをして、私も(拉致問題に対する取り組みを)終わりにしたい」(松田則章)

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