話の肖像画

谷垣禎一(14)潰した…加藤さんの「浮かぶ瀬」

内閣不信任決議案に賛成票を投じに行こうとする加藤さん(中央)を、涙ながらに引き留めた=平成12年11月20日夜
内閣不信任決議案に賛成票を投じに行こうとする加藤さん(中央)を、涙ながらに引き留めた=平成12年11月20日夜

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《平成12年11月、野党が衆院に提出する森喜朗内閣の不信任決議案に、自民党の派閥領袖(りょうしゅう)だった加藤紘一元幹事長と山崎拓元副総裁らが賛成する構えを見せた。加藤さん率いる宏池会(現岸田派)と山崎さんの近未来政治研究会(現森山派)の衆院議員計64人が賛成すれば、決議案は可決され、森内閣は憲法69条の規定により10日以内の衆院解散か総辞職の選択を迫られる。谷垣さんが所属していた加藤派は、当時の野中広務幹事長や古賀誠国対委員長ら党幹部の猛烈な切り崩しに遭った。派内でも加藤さんの行動は「唐突」と一部で強い反発を呼び、宮沢喜一元首相をはじめ長老らの「加藤離れ」が急速に進んだ》


加藤派議員が引きはがされていく中、私には誰からの連絡もありませんでした。「谷垣なんか言っても無駄だ」と思われたのでしょう。加藤さんと私は近い関係にあると、外から見えていたと思いますしね。

加藤さんの行動が派内に敵をつくってきたことは否定できません。(平成10年12月の)会長就任以来、加藤さんはある意味では思い切ったことをしてきました。宏池会事務所の移転もその一つです。古い幹部は「なぜこんなことをする必要があるんだ」とぼやいていました。番頭だった木村貢元事務局長とも大げんかしていました。

野中さんは当時幹事長だったこともあり、野中さんなりによくやられたと思います。古賀さんは加藤派に所属していて、もともと加藤さんとは非常に近い関係でした。政治闘争などについては、加藤さんは私なんかより古賀さんに相談していたと思います。しかし、その2人の間にも亀裂が入ってしまった。私は当時の古賀さんの動きをよく知りませんが、結論としてはそういうことだと思います。


《激しい攻防は10日間余り続き、宏池会は加藤グループと反加藤グループに分裂。強気な発言で「森おろし」への世論の期待を高めた加藤さんも、派内をまとめきれないと悟ると、決議案採決への対応方針を「賛成」から「欠席」に軟化させた。衆院本会議で採決に向けた各党討論が行われていた20日夜、都内のホテルで開かれた加藤派と山崎派の合同総会で、加藤さんは山崎さんと2人だけで賛成票を投じに行く考えを示す。谷垣さんは血相を変えて駆け寄り、「加藤先生は大将なんだから、一人で突撃なんてだめですよ!」と涙ながらに引き留めた》


あのとき、みんなで「俺たちは負けた。ここで打ち止めだ」という話をしたんです。加藤さんもそれで納得したと私は思っていました。それなのに、2人で本会議場に行って賛成票を投じると言い出した。それで私は「大将一人で行っちゃだめだ」ととめたわけです。加藤さんが「領袖の自分だけは最後までやり抜くんだ」と考えていた可能性は多分にあると思います。


《だが、加藤さんは国会議事堂に向かってはホテルに戻るのを繰り返し、結局、本会議場には現れなかった。衆院本会議は21日の明け方までもつれ込んだ末、決議案は加藤派の45人中21人、山崎派の19人中17人の欠席などにとどまり、否決された。加藤さんは首相候補として致命的な傷を負い、以後、二度と浮上することはなかった》


加藤さんは優柔不断な人ではありません。何度も国会に行ったのは「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と考えたからかもしれない。そうだとすれば、「身を捨てるようなことはやっちゃだめだ」と引き留めた私は、加藤さんの「浮かぶ瀬」も潰してしまったのかもしれません。私が引き留めなければ、加藤さんには別の人生があったのかもしれない。申し訳ないことをしたのかなという気持ちも、ないわけではないのです。

しかし、あの場面が何度もテレビで流れるのは…涙を流しているところばかりいつまでもやられては、かないませんな(苦笑)。

(聞き手 豊田真由美)

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