金田監督の辞意表明で追い詰められた阪神の戸沢球団社長。やはり〝二者択一〟しか道はないのだろうか。
虎番記者たちは連日、深夜遅くまで監督や江夏、社長宅を張り込んだ。そんなある日、突然、江夏の表情が変わった。
12月12日、甲子園球場近くの自宅で記者たちに囲まれた江夏は、実に穏やかな表情になっていたという。
「ある人にずいぶん説教されたんや。監督に謝りに行くことを約束した」
記者たちは驚いた。つい先日まで目をつり上げて「あんな監督の下で野球はできん!」と息巻いていたのに…。江夏に何が起こったのか。
12月6日、江夏は後援者の重鎮T氏から「野球はチームプレー。お前の気持ちもわかるが、ここはグッと我慢して謝りなさい」と言われたという。
T氏は当時、奈良県内で5つの会社を経営する実業家。野田忠二郎社長をはじめ阪神電鉄本社の上層部とも親交があり、「虎信会」という後援会を作って選手たちを支援。江夏も「オレを叱ってくれる人」と慕い尊敬していた。
T氏は江夏にこう諭した。
「選手が監督に従わねば組織が乱れる」
「お前は母親に仕送りするなど親孝行者や。けど、野球をやめればそれもできんようになるぞ」
「これから社会人として成長するには、人に〝頭を下げる〟ことも必要や」
江夏はT氏の言葉に「社会を知らな過ぎました」と頭を下げ「監督に謝ります」と約束した。そこへ金田監督の「辞任」騒動。江夏は「いま、オレから出かけるのはどうかと思う」と迷っていた。
12月25日、戸沢社長は大阪・梅田の球団事務所に江夏を呼び、現在の心境を確認。江夏から「すべて社長に一任する」という言質を取った。社長との話し合いを終えた江夏は待ち構えた記者たちに向かった。
「監督には謝罪する。けど、一方的に頭を下げることはせえへんで。お互いに悪いとこはあるんやから。納得できる点は謝る。監督がオレの気持ちを分かってくれたら、オレは何も言わんとプレーに専念する。プロやからな」
ほんまに改心したんやろか…。記者たちはみな不安になった。(敬称略)