家族がいてもいなくても

(731)天に与えられたチャンス

イラスト・ヨツモトユキ
イラスト・ヨツモトユキ

膝を痛めてしまった。

整形外科のクリニックに行ったら、「膝関節症。年齢のせいだから仕方がないね」と言われた。

それで、しばし治療に通い、注射を打つことに。おまけに運転も控えた方が…、という人も。

ようやく春が来て梅も桜もこぶしも一度に咲き始め、ドライブ三昧で過ごそう、と思っていたので、がっかりしてしまった。

でも、私の住む高齢者住宅には、10人乗りの「ハイエース ワゴン グランドキャビン」の送迎車が、常に運行している。

1日に2、3便。新幹線の駅やクリニックや大型スーパーなどを巡回している。

私は車を運転するので、このワゴン車を利用していない。

けれど、運行表をしみじみ眺めてみたら、黒磯の新しい図書館とか、市営プールとか、温泉とか、映画館とか、いろいろなところへ行くではないか。

ならば、この機会に送迎車を利用してみようかな、という気になった。

実は、この車を利用するには、それなりの努力が必要なのだ。何曜日コースの何時に乗って、どこで降りて、どこで何時にハウスに帰る車に乗るか、いろいろ自分で頭を使わなければならない。

そのことに自信がない。

でも、私にもいずれ車の運転をあきらめねばならない日が来る。

そう思うと、一見、不運のような今回の膝の故障は、天から与えられたチャンスかもしれない。

そう思い、土曜日の午後コース、県境を越えて、送迎車でショッピングモールに出かけてみた。

いつもは、前ばかり見つめて運転しているのとは大違い。

ワゴン車に乗り、わずか30センチほど目線が上がっただけで、窓から見えるショッピングモールの景色が一変した。

視野がぐんと広がり、道の続く向こうに何があるか、そんなこともわかってくる。単純ながら、この発見に膝の痛みも忘れてしまった。

夕方、食堂で「送迎車に乗ったら楽しかった」などと話していたら、ハウス長が言った。

あれに乗っていれば、駐車場代もガソリン代もいらない、おまけに毎日乗ってもただ、と。私も思った。ローンもなくなる、車検もタイヤ交換もいらない、と。

そんなわけで、次の免許更新までに送迎車を使いこなし、免許返納するかなあ、と思ったらなんだか未来も明るくなった。

考えも気分も状況次第で、ころころ変わる、これも年齢のなせるわざなのかも、と思う私である。

(ノンフィクション作家 久田恵)

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