ぐにゃりとゆがんだレールは赤錆(さ)びていた。平らに並ぶはずの枕木は波を打ったままだった。一昨年7月初旬、九州南部を襲った熊本豪雨は熊本県の八代駅(八代市)から鹿児島県の隼人駅(霧島市)を結ぶJR肥薩(ひさつ)線に甚大な被害をもたらした。豪雨災害からもうすぐ2年。いまだ一部運休が続く現場を訪ねると、そこには、時が止まったままの風景があった。
肥薩線は熊本(肥後)と鹿児島(薩摩)を結ぶ明治期開通の鉄路で、単線・全線非電化のローカル線だ。古い鉄橋や駅舎などが多く、近年は「百年レイル」をうたい、観光路線に位置づけられていた。
気象庁が「令和2年7月豪雨」と名付けた熊本豪雨は一昨年7月3日から4日にかけて集中豪雨を降らせ、県南部を流れる球磨川が氾濫。特別養護老人ホーム「千寿園」の浸水など流域に被害が広がり、県内で65人が犠牲になった。
肥薩線の八代駅―人吉駅間は、その球磨川沿いを走る。豪雨によって、この間に2カ所ある鉄橋はいずれも流失した。人吉―吉松(鹿児島県湧水町)間も、路線の管理システムが置かれていた人吉駅が浸水するなどしたため、今も運休。被災地域の交通維持のため、線路の一部は舗装され、鉄路は応急道路に変わっていた。
実は13年前、肥薩線で蒸気機関車が客車を引っ張る「SL人吉」撮影のため、鉄橋を訪れていた。川の流れは穏やかで、きらめく川面を眺めながら汽車を待ったことを覚えている。通過時刻には住民が集まり、SLに手を振っていた。
改めて訪れた痛々しい鉄橋の現場は、その傷跡を、そのまま残していた。橋のたもとにあった家は基礎だけを残して姿を消し、辺りに住民の姿もなかった。
流された橋の一部は地元住民でつくる坂本住民自治協議会がJRから譲り受けて保存していた。今後、災害遺構として整備、展示予定という。同協議会復興推進部会長の森下政孝さん(81)は「ひどかった水害と肥薩線の存在を人々に残して伝えなければ」と話してくれた。
一方でJR九州は被災前の運休区間の赤字が令和元年度で約8億9千万円で、復旧費用は約235億円に上ると発表した。3月末、国土交通省と県、JR九州が初めて検討会議を開き、鉄道としての復旧を前提に議論することで一致。今後も協議するという。
地元の復旧への要望は強い。ただ、巨額の修復費用を抱え赤字ローカル線の復活は容易ではない。
そんな事情のなか、現場では、乗客の目に触れないまま球磨川沿いのソメイヨシノが、静かに咲き始めていたのが印象的だった。
(写真報道局 恵守乾)