『山月記(さんげつき)』『李陵(りりょう)』で知られる作家の中島敦(あつし)(1909~42年)は昭和16年7月、南洋庁の官吏として、赤道に近い太平洋のパラオ諸島(現・パラオ共和国)へ赴任している。南洋庁は同島など南洋群島を所管する日本政府の統治機関で、中島の肩書は同庁地方課の編修書記だった。
ときは先の大戦の〝開戦前夜〟である。中島はなぜ、妻と幼子2人を日本に残して、3000キロ以上も離れた南海の島へ行くことになったのだろうか?
『山月記(さんげつき)』『李陵(りりょう)』で知られる作家の中島敦(あつし)(1909~42年)は昭和16年7月、南洋庁の官吏として、赤道に近い太平洋のパラオ諸島(現・パラオ共和国)へ赴任している。南洋庁は同島など南洋群島を所管する日本政府の統治機関で、中島の肩書は同庁地方課の編修書記だった。
ときは先の大戦の〝開戦前夜〟である。中島はなぜ、妻と幼子2人を日本に残して、3000キロ以上も離れた南海の島へ行くことになったのだろうか?