昭和48年、ペナントレースでは最終戦で巨人に敗れ「優勝」を逃した阪神だが、オフのストーブリーグでは独走状態。関西のスポーツ紙は連日、阪神の〝お家騒動〟を書き立てた。
11月28日、そのスポーツ紙が一斉に『急転、江夏放出!』と報じた。これまで「20勝投手の江夏は絶対に出さん」と言ってきた阪神電鉄の野田忠二郎社長の方針とは、まさに180度の方向転換である。球界は騒然となった。
なぜ、こんな事態に陥ったのか―。
ここ数日、戸沢球団社長は金田監督と会合を繰り返していた。その席で金田監督は「一連の行為に表れている通り、江夏の言動は他の選手が受け入れない。チーム全体からみてマイナスである」と主張した。戸沢社長は本社の指令通り「なんとか丸く収められないか」と粘った。だが、問題が「対首脳陣」ではなく「対主力選手」になっては事情も変わってくる。ある主力選手はこう言った。
「彼の勝手わがままな行動はもう許せない。黙認するにも限度がある。あんな常識のない選手はいくら力があってもチームメートとは思わない」
こんな状況の中で11月27日、野田電鉄社長が虎番記者に取り囲まれた。
――チーム内に〝反江夏〟の空気が強い。多くの選手は江夏と口もきかない。そうした現状を知っているのか
野田「戸沢社長から報告は受けている。僕自身、そんな噂を聞いた。野球は9人でやるもので、1人のためにあとの8人を犠牲にはできない」
――では、どう手を打つのか
野田「まだ〝噂〟としてしか聞いていないので、12月の契約更改の席で選手に〝真相〟を聞く。それで反感があまり強いようなら考えたい」
野田社長は「放出」とは明言していない。その気持ちもない。だが、言葉尻をとらえれば「放出もあり得る」ととれた。しかも、選手の意見は改めて聞かずとも分かる。こうして急転、『江夏放出』報道となったのである。
他球団は一斉に獲得に乗り出した。
「ほう、阪神さんが江夏放出もやむを得ないと…。もし、取れるのなら取りたいね。張本君ねぇ。う~ん、金田君なら喜んで」とは新生・日本ハムの三原脩球団社長。他に大洋は平松、太平洋は加藤初の名前が交換要員として挙がった。(敬称略)