スポーツ茶論

自由を求める文化は強い 蔭山実

記者会見で厳しい表情を見せるIPCのパーソンズ会長。ロシアとベラルーシの選手団に対して北京冬季パラリンピックへの参加を認めない決定を下したと発表した=3月3日、北京(共同)
記者会見で厳しい表情を見せるIPCのパーソンズ会長。ロシアとベラルーシの選手団に対して北京冬季パラリンピックへの参加を認めない決定を下したと発表した=3月3日、北京(共同)

「自由を追求できる環境が守られていなければいけない」。世界陸連会長のセバスチャン・コー氏はかつてそう話し、スポーツの世界でも自由を守るためには監視が必要であると訴えたことがある。ロシアのウクライナ侵攻がスポーツ界に大きな影響を与えるいまも重い言葉だ。

ロシア軍の侵攻は2008年の夏(南オセチア紛争)に似て、こんどは冬季の北京五輪・パラリンピックの合間に起こった。五輪は様子見だった感はあるが、パラリンピックでは開幕直前になって、ロシアと、ロシアにくみしたベラルーシの選手が一転して出場禁止となった。アスリート個人には責任はないはずだが、大会運営の混乱と安全を考えると、やむを得ない決断だろう。

1980年のモスクワ五輪では、前年末に起きたソ連軍のアフガニスタン侵攻を受けて米国や日本、当時の西ドイツがボイコットした。派遣拒否と出場禁止は事情が異なるが、英国の代表という形を取らずに五輪に参加したコー会長らの決断を思うと国家と個人の関係は常に複雑である。

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冷戦が終結した当時、「歴史の終わり」という著作で話題になった米国の政治学者、フランシス・フクヤマ氏はロシアのウクライナ侵攻が始まった当初、英紙フィナンシャル・タイムズに寄稿した。「冷戦崩壊の精神は死んでいない」。そう訴え、歴史が逆戻りすることはないとの考えを示した。

その現代の特徴を、米紙のコラムニスト、トーマス・フリードマン氏は「グローバル化は通商問題に限らない。個人も結束して世界規模で活動できる力を持った」と指摘する。ソーシャルネットワークで〝武装〟し、自由を求める新たな力を蓄えた市民が独裁者に立ち向かっていく世界である。

21世紀に入り、反テロ戦の時代になると、それまでの国家と国家との戦争から国家と組織という非対称の戦いに移った。それがさらに国家と個人との戦いに変化したようにみえる。プーチン露大統領を多方面から圧力をかけて包囲できるのも、人々の新たなつながりが後押ししている。

個人の持つ力はスポーツ界にも反映されていくはずだ。「参加しなければ、何も変えられない」。モスクワ五輪に出場した英国のアラン・ウェルズ氏がアフガン侵攻を批判しながらも参加を決断した理由は、その原点といえるかもしれない。陸上男子100メートルで金メダルを獲得し、後に「米国勢がいなかったから勝てた」と揶揄(やゆ)されたが、政治がスポーツを引き裂く中で、思うままに力を発揮したことは正当だったと思う。

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政治もスポーツも文化だと感じることがある。世界では地域で盛んな競技や人気のある競技が異なるのをみると、背景に波長の合う固有の文化というものがあるはずだ。

「スポーツは音楽や数学と同様、人生に欠くべからざるものである」とは、1964年の東京五輪で陸上男子1600メートルリレーに出場し、銀メダルを獲得した英国の陸上選手、エイドリアン・メトカーフ氏の言葉だが、そのスポーツを政治の干渉から守るにはどうすればいいのか。

冷戦崩壊で東西の陣営の対立はなくなったはずであり、グローバル化で洋の東西もなくなりつつある。それでも、国家の間違った言動の犠牲にならず、スポーツマン精神を貫くには、コー氏の言う、世界への監視は怠れない。その土台には自由を求める文化が必要だ。それは競い合ったときに最も強い力となるだろう。

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