古式捕鯨は人間とクジラの壮絶な戦いでもあった。長い戦いの終わり、クジラを仕留めた漁師たちは念仏を唱えてその魂を冥途に送った。クジラの親子の情愛を利用して捕獲する厳しい現実。捕鯨船の極彩色に補陀落浄土信仰との関係を見いだす研究者もいる。

※画像は横スクロールできます(捕鯨船の絵図は太地町立くじらの博物館所蔵)
大阪市東淀川区、瑞光寺境内の池に、クジラの骨でできた橋がかかっている。江戸時代の「摂津名所図会」も示す「雪鯨(せつげい)橋」だ。宝暦6(1756)年、太地から届いたクジラの骨18本で架けられた。
寺によると、行脚中に太地を訪れた同寺の住職が豊漁祈願を頼まれた。殺生の戒めを理由に一度は断ったが、不漁の苦しみに同情して祈願を行い、御利益あってクジラがとれたという。架橋は供養のためであった。
代々の住職が守り、架け替えてきた。いまのは令和元年に架設した7代目。遠山明文住職は「戒めを破って生きるざんげの気持ちを伝えてきました」と言う。
古式捕鯨の時代、巨大な生命体を仕留めた刹那、海の上には短い沈黙が訪れたようだ。九州ではクジラがころころと喉を鳴らして絶命するとき、南無阿弥陀仏を3度唱え「三国一じゃ、大背美捕りすまいた」と、掛け声をかける慣習があったという。
クジラを供養する石碑は青森、愛媛、大分など全国各地の沿岸にいまも残る。