小林繁伝

「サル」呼ばわり…殴打事件発生 虎番疾風録其の四(25)

阪神時代の権藤正利投手=1971年、甲子園球場
阪神時代の権藤正利投手=1971年、甲子園球場

「江夏問題」がまだ決着がつかないというのに、阪神にまたとんでもない「事件」が起こった。

昭和48年11月23日、プロ入り21年目のベテラン左腕・権藤正利投手(当時39歳)が、甲子園球場のロッカールームで金田監督を殴り、ケガをさせる『殴打事件』が起こったのだ。

事の発端はその年の5月のある日、たばこを吸いながら甲子園球場にやってきた権藤は入り口で金田監督と出会った。すると「なんや、サルでもたばこ吸うんかい」と金田監督がからかった。

「監督は軽い冗談のつもりだったかもしれないが、私には侮辱としか受け取れなかった。腹に据えかねた」

その場はジッとこらえて別れた権藤だったが、悔しさは募るばかり。「機会があれば会って、ちゃんと謝ってもらおう」と思った。

11月23日、チャンスが巡ってきた。その日は恒例の『あすなろ野球大会』(運動具メーカーSSKが〝利益の一部をスポーツ振興に〟と大阪・兵庫の福祉施設の児童を招いて、昭和38年から行っている大会)が甲子園球場で行われた。

監督、コーチ、選手は全員参加。大会のはじめにあいさつに立った金田監督は一人、ロッカールームで休んでいた。そこへ権藤がやってきた。

権藤は謝罪を求めた。ところが、金田は「サル」と言ったことすら覚えていなかった。「そんなこと言うた覚えはないが、仮に言うたとしたらどうなんや」。権藤は開き直られたと思った。カーッと頭に血が上り、気がついたときには金田監督を殴っていた。

その日、大阪・梅田の電鉄本社に呼び出された権藤は戸沢球団社長から正式な処分が出るまで「自宅謹慎」を命じられた。

「ひと言〝悪かった〟といってほしかっただけ。私が悪い。つい、カーッとなってしまって…。どんな処分も覚悟している。タイガースの名を汚し、みんなに迷惑をかけて申しわけない」

権藤はその年で現役を引退した。

ある事実が判明した。実はサル呼ばわりされた権藤は江夏に「悔しい。監督にはもう我慢できん」と胸の内を明かしていた。そして23日、金田監督が一人いるロッカールームへ権藤を連れていったのが江夏だったのである。(敬称略)

■小林繁伝26

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