「九尾の狐」伝説で知られる栃木県那須町の「殺生石(せっしょうせき)」が真っ二つに割れ、さまざまな憶測が飛び交っている。美女に化けた九尾の狐が退治され石になったという伝説から約630年。会員制交流サイト(SNS)では「封印されていた九尾の狐が解放されたのでは」などの書き込みが拡散。石が割れたのは吉兆か、それとも不吉の前兆かと、ヒートアップしている。
画像ツイートで判明
殺生石は、那須湯本温泉街近くの那須岳の斜面にあり、昭和32年に県史跡、平成26年には国の名勝に登録され、観光名所として知られる。付近一帯ではかつて火山性の有毒ガスが噴出し、鳥や小動物が死んだことから「生き物を殺す石」と信じられ、この名が付いたともされる。
この殺生石が割れた状態で見つかったのは、3月5日。観光客がツイッターで画像を投稿して判明した。問い合わせを受けた地元の那須町観光協会も駆けつけ、ほぼ中央から刃物で切ったように真っ二つに割れた殺生石を確認した。
同協会によると、殺生石は溶岩で、以前からひびが入っていたといい、自然現象で割れたとみられる。だが拡散された投稿が多くの人の目に触れることになり、さまざまな憶測を呼ぶきっかけになった。
「一大事」で慰霊祭
殺生石にまつわる「九尾の狐」伝説の存在が憶測に拍車をかけている。
平安時代後期、鳥羽上皇の愛する妃に「玉藻前(たまものまえ)」という美女がいた。ところが帝は日に日に衰弱し、床に伏せるようになった。これを陰陽師(おんみょうじ)が、「玉藻前」に化けた九尾の狐の仕業と見破った。正体を現した九尾狐は那須まで逃げたが、とうとう退治された。
しかし、九尾の狐は巨大な石に化身し毒気をふりまき、近くを通る人や家畜、鳥や獣の命を奪うことに。結局、高僧により怨念が封じこめられ、一喝すると石は割れて飛び散ったという。飛び散らないで残ったのが殺生石。600年以上前の出来事と伝えられている。
殺生石が割れたことは地元でも「一大事」と受け止められ、3月末に那須町観光協会による慰霊祭と平和祈願祭が行われた。