話の肖像画

谷垣禎一(10)♪花も嵐も踏み越えて…宏池会の伝統

議事進行係を務めていたころ=昭和62年4月
議事進行係を務めていたころ=昭和62年4月

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《急死した父の後を継いで自民党の衆院議員となった谷垣さんは、父が生前所属していた党内派閥「宏池会」(現岸田派、当時は鈴木派)に入会した》


宏池会の会長を務めた大平正芳、宮沢喜一両元首相には以前から親近感があり、信頼できる政治家だという印象を持っていました。おやじからしょっちゅう話を聞いていましたからね。特に大蔵省出身の大平さんは農林省出身のおやじとは入省年次が同じで、旧知の仲だったようです。おやじは生前、「大平も俺程度の男だろうと思っとったんやが、あいつは志が違ったんやな。俺はものの考え方が小さかった」と言っていました。

新人議員だった私に派閥のことを教えてくれたのは、若者頭だった瓦力元建設相でした。瓦さんはよく「政治集団は寂しがっている者をつくっちゃだめなんだ。1人で浮かない顔をしたやつがいたら、呼び出して一緒に飲んで歌わなきゃ」と言っていました。体育会系な発想ですけど、チームワークのためには大事なことですよね。加藤紘一元幹事長は瓦さんと当選同期でしたが、もう少し合理的というか、インテリ的でした。


《当時の宏池会では、懇親会の終盤に肩を組んで輪になり、みんなで歌謡曲「旅の夜風」を歌うのが恒例だった》


「旅の夜風」は、初代会長の池田勇人元首相が好きだったんです。当時は派閥のみんなで飲み会をすると、最後は決まって肩を組んで「♪花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道」と歌い、お開きにしていました。そういう慣例などを、派の若者頭が新人に教えていたのです。私も瓦さんに「谷垣、歌え!」なんて言われていました。

昨年9月、現会長の岸田文雄首相が私の家に来られたとき、「今、岸田さんのとこの宏池会は飲み会の最後に『花も嵐も踏み越えて』って歌ってる?」と聞いてみました。すると岸田さんは「いや、池田先生がお好きだった歌だとは聞いておりますが…」。「そうかあ。それは俺たちの教育が悪かったんだな。瓦さんに教えてもらったことを、岸田さんたちに伝えていなかったんだ」なんてやりとりをしましたよ。

宏池会は(平成12年の「加藤の乱」を境に)分かれてしまって、伝わっていない伝統がたくさんあります。その全てを今に伝える価値があるかどうかは別として、伝統をどうにかして伝えていくのも必要なことじゃないかと思うんですけどね。


《当選3回を重ねたころ、国会の議事進行係に任命された。衆院本会議で「ギチョーー!」と声を張り上げて議長に動議を行う、若手議員の登竜門だ。加藤さんや古賀誠元幹事長ら、宏池会にも経験者がいた》


私を議事進行係にしたのは加藤さんでした。「東大法学部を出て司法試験に受かったなんて顔をしてちゃあ、この世界は通用しねえんだ。ばかなことをやってると思うかもしれないが、バンカラを踏んだところも見せろ。もっと泥臭さを身につけなきゃいかん」というのが、加藤さんの狙いでした。

指導係の古賀さんと本会議場で練習しましたが、長い文章はなかなか難しかった。できるだけ一言で言い切ったほうがいいとはいうけど、途中で息を継がなきゃ続かないし、舌をかんでしまうこともあるし。役目を終えた後も4~5年にわたって、金子原二郎農林水産相や山本有二元農水相ら後進に発声指導をしましたよ。

若手の間は政務次官の任期以外ほとんど、衆院議院運営委員会や国会対策委員会の仕事をしていました。国対委員長室に詰め始めたころは何が起きているのかわからず、古手の副委員長の解説でようやく理解していましたね。国対は与野党をただ突き合わせているのではなく、人間関係を築きながら国会運営をしているのだと学びました。(聞き手 豊田真由美)

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