書評

『捨てない生きかた』五木寛之著 「モノ」が語る個人の記憶

世の時流に反旗を翻すようなタイトルに、80歳近い親のいる中年の私は思わずのけぞってしまう。生きてる間に片づけてもらわないと、残された子供たちは大変だ。「捨てなくていい」なんて大義名分を得られては実家がゴミの山になってしまう。

そういう私自身もいつポックリ死ぬか分からない。感染症が蔓延(まんえん)する世界では、老いも若きも「断捨離せねば」という強迫観念から逃れられない。

しかしどうやら本書の指す断捨離とはタンスに詰め込まれたモノだけではないらしい。失われていく方言や文化、仏壇や木札に至るまで、著者は思い出とともに捨てなくていい理由を述べている。なかでも最も強い想(おも)いを感じたのが「庶民における戦争の記憶」である。

今、起きている世界の紛争もいつか教科書に「記録」として載るだろう。しかしそれは出来事の要約であって、個人の「記憶」ではない。「戦争のたびごとに、どれだけ普通の人たちが迷惑あるいは被害を受けたかということは語られていない」と著者は憤り、ならば〝記憶〟を親から子へ口で伝えてほしいが、「その親がいなくなったら、モノに残していくしかないではないか」と訴える。

先日、帰省した折、私は亡くなった祖母の古い家計簿を見つけた。母と一緒にページをめくってみると余白に終戦後、樺太から引き揚げたときの苦労や、高度成長期のド派手な冠婚葬祭の様子などが綴(つづ)られていた。生きている間に祖母とそんな話はしなかったけれど、上手とはいえない筆跡からその時代を生きた彼女の様子が目に浮かんだ。

すると、コロナ禍で引きこもり、ぼんやりしがちだった母が久しぶりに声を立てて笑い、昔話をしはじめた。私はふと思った。断捨離にとらわれることによって、家族の歴史や感情も捨てていたのではないか。断捨離に頭を悩ます時間こそ、捨ててよかったのかもしれない、と。

読み進めるほどに「モノに囲まれているということは、じつは記憶とともに生きているということ」という言葉が沁(し)みる。次の休みも〝不要不急〟のモノを引っ張り出して家族の「モノ語り」を聞きたくなる。過去と現代を繫(つな)ぎ、世代を超えて未来に背中を押してくれる一冊だ。(マガジンハウス新書・1000円)

評・白石あづさ(フリーライター)

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