震災11年 福島の復興、動き出す若者 再確認した故郷の魅力発信

故郷の小高区で若者の起業支援などに携わる根本李安奈さん=3月1日、福島県南相馬市(本江希望撮影)
故郷の小高区で若者の起業支援などに携わる根本李安奈さん=3月1日、福島県南相馬市(本江希望撮影)

東京電力福島第1原発から20キロ圏内に位置する福島県南相馬市の小高区。ここで、東日本大震災と原発事故当時に10代だった若い世代の起業支援と人材育成プロジェクトが進んでいる。事故による避難指示で一時住民がゼロになり、人口減少や高齢化などの課題に直面する街。震災から11日で11年と1カ月となるなか、当時はまだ若く、声を上げられなかった若者たちの挑戦が、復興の担い手として期待されている。

「故郷だから戻ってきたというより、ここが面白いから戻ってきた」

そう語るのは、プロジェクトの事務局を担当する根本李安奈(りあな)さん(26)。小高出身で、大学進学とともに上京。卒業後は広告会社で働いていたが、昨年2月にUターン移住した。

震災があった11年前は、中学3年生。自宅は原発から12キロの距離で、避難生活を余儀なくされた。

「好きな街でもなかったし、早く出たいなと思っていた。でも、いざ出ていきなさいといわれると、なぜ出ていかなければならないのか、なぜ帰れないのか、ずっと違和感があった」

根本さんが働く小高ワーカーズベースは、平成26年から住民帰還の呼び水となる事業や雇用の創出に取り組む。昨年5月から29歳以下の若者を対象に、震災由来の課題解決のための起業支援と人材育成を行うプロジェクト「Next Action→ Social Academia」を始動。根本さんは参加者をサポートする。

震災から11年。故郷への思いも変化しつつある。  「自分にとって小高が、どんどんゆかりの強い場所になっていくのを感じる」

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福島県郡山市出身の吉田幸希(こうき)さん(19)は、昨年12月に神奈川県から浪江町に移住し、大熊町を中心としたアートプロジェクトに挑戦している。

震災当時は小学2年。その後、母と幼い弟とともに、県外避難した。

「放射能がうつるから近づくな」。避難先の中学ではいじめに遭った。「福島県に生まれなかったら」とも思った。

高校3年のとき、原発のある大熊町を訪れたときのことを覚えている。

「復興が進んで人もいるはずなのに人の声もなく、風がやむと無音になった」

その後は、大熊をたびたび訪れ、農業インターンも経験した。

「色と音のあふれる街にしたい」。吉田さんが仲間とともに企画したアートプロジェクトが採用され、イベントも行われた。

いじめに遭っていたころ、福島の魅力を問われても答えられなかったことが悔しかったという。

「大熊のことは、案内できるようになってきたかな」と吉田さんは話す。

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郡山市出身の大川翔(かける)さん(23)は、昨年10月に東京から小高に移り住んだ。古民家を改修し、「外から来る人と、地域の人がつながる場所にしたい」と、コミュニティーハウスを作る準備を進めている。

父の昌義さんは、原発事故後、風評被害に苦しむ農家を支援するため、平成25年から郡山から福島の野菜などをトラックに積み、東京などで移動販売を行ってきた。それを手伝ううち、福島の魅力を再認識した。

「郷土料理や特産品を知った。お客さんに『応援しているよ』と言ってもらえて、うれしかった」

しかし、成人式で再会した同級生は「福島には帰りたいと思わない」「魅力のある仕事がない」と話していた。危機感を持った大川さんは「現状を変えないと、地域は残っていけない」と、SNSで魅力を発信。移住を検討する人に向けた体験ツアーのガイドも行った。

小高での挑戦。

「新しいことをやることに対して、応援して背中を押してくれる人がほとんど。チャレンジしやすい街だと思う」と語った。(本江希望)

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