ウクライナ 戦禍の街で

拷問、レイプ、殺人…それらが罰せられない世の中で生きること

6日、ウクライナ・ブチャの通りを歩く男性(ゲッティ=共同)
6日、ウクライナ・ブチャの通りを歩く男性(ゲッティ=共同)

長い間、音信不通になっていたことをお許しください。私たちは首都キーウ(キエフ)から避難し、小さな村にいましたが、すぐ近くの3カ所の都市でロシア軍の砲撃が始まったので、離れることにしました。

3月16日深夜に届いた前回のメール:「小さな村へ避難 望むのは…」

ウクライナの空港が爆撃されて使えなかったので、避難先のアイルランドまで何日もかかりました。

ポーランドの(南部)クラクフまで、何度も乗り換えをしながら、いろいろな列車で旅をしました。クラクフから飛行機で(アイルランドの首都)ダブリンに向かいました。

友人たちが宿泊場所を探してくれました。戦前の生活で残っているのは仕事だけなので、ノートパソコンを持っていって、仕事を続けています。

この旅では、ウクライナの難民に洋服や子供のおもちゃ、食料を分けてくれたり、宿泊させてくれたり、書類の作成を手伝ってくれたりと、とても親切な人たちにたくさん出会いました。人の優しさに触れ、心が温かくなります。多くの国からの支援を感じ、生きていく力になります。

今は、大丈夫だといえるでしょう。私たちは安全で、必要なものはすべてあり、私たちを助けたいと思ってくれる多くの人々がいます。

それでも正直なところ、精神的には非常に悪いと感じています。

(露軍の虐殺行為があった)ブチャには、たくさんの友人がいました。イルピンにもたくさんいました。父が(ウクライナ東部の)ルビズネに生まれたので、毎年夏になると、ルビズネの祖母のところにも遊びに行っていました。

しかし、今はその町がなくなってしまいました。爆弾や大砲で永久に破壊され、多くの住人が残酷に殺され、拷問を受けて死んだのです。マリウポリでロシア軍は拷問やレイプを行い、殺人の痕跡を隠すために民間人の遺体を火葬場で焼きました。

このような行為が罰せられない世の中に、なぜ私は生きていなければならないのでしょうか。

毎朝、難民がウクライナに帰還できるというメッセージを期待して、ニュースサイトを開いています。きょう分かったのは、ロシアが(東部ドネツク州の)クラマトルスクの鉄道駅にミサイル攻撃を行い、すでに50人が死亡したということでした。

長い間眠れませんでした。目が覚めるたび、この戦争が悪夢ではなく現実であることを実感させられ、とてもつらいからです。

毎日、家に帰りたくて泣いています。息子のセウェリン(8)は「家族と離れるくらいなら、家でミサイルに撃たれて死んだ方がましだ」と、言い続けています。

ネガティブな考えを伝えることをお許しください。

=ユーリア・クリメンコ

IT会社勤務。夫と息子、両親とキーウに暮らしていた。大学で日本語を専攻、留学経験もある。34歳。

避難先の筆者から9日未明、担当記者にメールが届きました。その内容を一部加筆・修正して掲載しています。

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