話の肖像画

谷垣禎一(8)父が急死、周囲に説得され出馬へ

出陣式に臨む谷垣さん=昭和58年7月
出陣式に臨む谷垣さん=昭和58年7月

(7)にもどる

《駆け出しの弁護士として仕事に邁進(まいしん)していた昭和58年5月、文相も務めた衆院議員の父が健康上の理由で政界引退を表明、療養に入った。がんだった》


おやじは私に後を継がせるつもりはありませんでした。選挙はそれなりの資産と信用を持つ人がやるものだ―。そういう考えがあったのだと思います。というのも、当時は中選挙区制で、今の小選挙区制より選挙にカネがかかったのです。元農林官僚のおやじには関係業界にそれなりの人脈があり、応援してくれる人たちがいましたが、資産家や自分でカネをつくれる経営者でもないかぎり、まっとうな政治資金を得るのは大変だと考えていたようです。

がんであることは引退表明の少し前に分かっていました。次期衆院選が近づく中、おやじは自分が期日ぎりぎりになって死んだら、地元の支援者たちは後継候補を探す時間がなくなり、私を担ぎ出すだろうと予想していました。だから先に引退を表明しておくのだと、私に説明したのです。そして「俺が辞めたら、支援者たちはよっぽどぼんくらだと思わなければお前に出ろと言うだろう。お前も法律家として真面目にやっていれば恥ずかしくないぐらいの稼ぎはある。選挙なんて無理にやる必要は毛頭ない」と言いました。


《父の専一さんは療養にあたり、次期衆院選に立候補しない意向とあわせて、身内を後継者としない考えを後援会幹部に明言した。しかし、長男擁立を望む声は日増しに高まっていった》


おやじの後援会や京都の経済界など、とにかくいろんな人が入れ代わり立ち代わり家にやってきて、私に選挙に出ろと言うのです。「私は弁護士として生きていきます。政治をやる気はありません」と、ここまでは私も言えるのですが、彼らの切り返しがうまいんです。

「弁護士も大事な仕事だろう。あなたが一生懸命に取り組んでおられるのはよく分かる。しかしあなた、お父さんがやっていた政治についてはどう考えているんだね。まさか軽蔑しているわけではないだろう」

おやじが今にも死のうとしているときに、おやじの仕事を軽蔑しているだなんて言えるはずがありません。「政治も大事な仕事だと思います」と答えると、「政治をつまらない仕事だと思っていないのなら、なぜやらないんだ!」と畳みかけられました。


《専一さんの病状は急速に悪化し、引退表明の翌月に息を引き取った。もともと欠員が出ていた旧京都2区は専一さんが亡くなったことによって欠員が2となり、総選挙を待たず補欠選挙が行われることになった》


2年ほど前に、おやじと同じ選挙区選出の前尾繁三郎元衆院議長が亡くなっていました。5人区の選挙区に2人の欠員が生じたため、8月に補選が実施されることになったのです。結局、私は支援者らに説得され、おやじの後継として立候補する決意を固めました。

心苦しかったのは、弁護士の仕事を途中で投げ出して、職場や顧問先に迷惑をかけることでした。おやじが死んだのは6月27日。6月下旬は株主総会が多い時期です。まだ2年目だった私も、ボスから株主総会の仕事をいくつも振られていました。弁護士としてやるだけやった後ならともかく、まだ駆け出しの人間が仕事を途中でほうり捨てて選挙に出るなんて無責任じゃないか。そんな気持ちがありました。結局、補選に出ることになり、申し訳ないことをしたと、今でも思っています。

家族の反応はというと、家内はいつもそうですが、「あなたがいいと思うことをやったらいいんじゃないの」という感じでした。結婚するとき、私に「あなたも選挙に出る気持ちがあるのか」とただした家内のおやじも、出馬をとがめることはありませんでした。(聞き手 豊田真由美)

(9)にすすむ

会員限定記事会員サービス詳細