本郷和人の日本史ナナメ読み

文化財と写真 所蔵者の権利と利用の難問

本郷和人・東大史料編纂所教授
本郷和人・東大史料編纂所教授

年度が改まった良い機会ですので、ちょっとご説明というか、言い訳をさせてください。このコラムは本文と図版、図版についての短い説明(キャプションといいます)から成り立っております。今回お話ししたいのは、本文と図版の関係性についてです。

令和4年3月、つまり先月の本コラムの「上総広常㊤」で、ぼくは広常が上総国の一ノ宮である玉前(たまさき)神社に鎧(よろい)を奉納していたことを記しました。頼朝がその鎧を検(あらた)めさせたところ、それは頼朝の武運長久を祈って納められたものだった。広常の謀反を疑って誅殺(ちゅうさつ)を命じた頼朝は、深く後悔した、という顚末(てんまつ)を紹介したわけですね。

一ノ宮というのは神社の格式で各国に存在するのですが、千葉県では地名にもなっています。戦前のこの地域には、神奈川県の大磯と並んで政財界や軍部の大物の別荘が多く建てられました。それで玉前神社には、一ノ宮ゆかりの著名人の書が大切に保管されているそうです。その書き手の一人が、海軍大将で第30代総理大臣、斎藤実(まこと)。ぼくはこの人と高橋是清が並んで写っている写真を見て、ああ、どちらも人生の重みを感じさせる立派な容貌をしているなあ、と感嘆したことがありました。それで彼の写真を図版に用い、キャプションを書きました。「君側の奸(かん)」の回で二・二六事件に言及してもいたので(斎藤、高橋はともにこの事件の被害者)、ますます適当かなと思ったのです。

でも、これがまずかった。鎌倉時代初めの話と斎藤実は、どういう関係があるのか。もう少し分かりやすい図版にすべきだ、という意見が寄せられたのです。

確かにそうですね。おっしゃるとおり。実は以前にも、もはやうろ覚えなのですがプロのライターを名乗る方から、なぜ本文とは関係の薄い図版を選ぶのだ、とのお叱りをネット上でいただいたことがあります。でもそこには一筋縄ではいかない事情もあるのです。

現在、読者諸兄姉はつとにお聞き及びとは思いますが、新聞や書籍など、紙を用いた印刷物はとにかく売れません。ぼくの書籍ももちろん例外ではありませんが、これについては呉座勇一さんの『応仁の乱』などのヒット作が存在する以上、身の不徳のいたすところ、と猛省しなければなりません。ただ、新聞各紙が軒並み部数を減らしているのは…。若い世代が新聞を読まない、取らないという話は有名ですし、どの新聞も例外なく、という状況を見ると、時流には逆らえない、といった要素があるのではないでしょうか。

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