レジェンド支えた愛妻弁当 藤子不二雄(A)氏評伝

藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)さん=2012年11月9日午後、新宿区西新宿の藤子スタジオ
藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)さん=2012年11月9日午後、新宿区西新宿の藤子スタジオ

元相方の藤本弘や憧れだった手塚治虫、トキワ荘の仲間の石ノ森章太郎らが相次いで60代で亡くなったなかで、7日に川崎市内の自宅で亡くなっているのが見つかった漫画家の藤子不二雄(A) さんは、晩年まで漫画界のレジェンドとして活躍し続けた。

「若いころは徹夜仕事の連続。酒にマージャン、ゴルフと遊びの方も目いっぱいで家にも帰らない。何の健康法もやっていないのに僕だけくぐり抜けてきた。医者も、いったいどうなっているんだろうね、と苦笑していましたよ」

本紙の取材でこう振り返っていた藤子さん。その活動を陰で支えたのが「カズヨ氏」と呼んでいた愛妻、和代さんの存在だった。

富山の禅寺に生まれた藤子さんは、子供のころから精進料理に親しんできたため、大人になっても肉や魚が食べられない。偏食の夫のために、和代さんは愛妻弁当を作り続ける。病気に倒れ、不自由な体になった後もずっと…。藤子さんは妻への感謝を込めて毎日、弁当をスケッチに描き、写真に撮って残していた。

「よく(妻から)怒られていたから『恐妻』なんて言っていたけど、ホントは感謝、感謝、そしてリスペクト(尊敬)ですよ」

小学校以来の相方だった藤本とは性格が正反対で、それが良かったという。2人の合作は、週刊少年サンデーに連載された「オバケのQ太郎」が事実上の最後。それでもコンビ解消を発表するまでは「藤子不二雄」のペンネームでそれぞれの作品を描き続けた。

「藤本君は人付き合いが苦手で編集者にも会わない。だから(藤本の)『ドラえもん』のことまで僕が話すしかないんです。あまりに藤本君が出てこないので、『ホントは1人なんじゃないか?』って噂が出たくらい(苦笑)。藤本君と出会わなければ僕は漫画家になっていなかったし、(性格が)違うから40年もやれたんですよ」(喜多由浩)

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