イチロー、ゴジラ松井に100%応えた「グラブ名人」坪田信義さん

野球グラブ作り名人の坪田信義さん=大阪市福島区(平成16年10月撮影)
野球グラブ作り名人の坪田信義さん=大阪市福島区(平成16年10月撮影)

この記事は、平成16年11月1日付の産経新聞大阪本社版に掲載された記事のアーカイブ配信です。年齢や肩書、地名は当時のまま。連載記事「達人口伝」のなかで、4月3日に死去した坪田信義(つぼた・のぶよし)さんのインタビューを掲載。王貞治氏やイチロー氏、松井秀喜氏ら数々のプロ野球選手のグラブを手がけた「現代の名工」がグラブづくりへの思いを語っています。

「イチローのグラブは大リーグに行って変わりました。彼のバッティングは常に進化していると言いますよね。グラブも、より捕りやすいよう進化しているんですよ」

〝名人〟〝マジックハンド〟-。日米プロ野球選手からそう呼ばれる坪田さんの工房は、ミズノ・サギス流通センター(大阪市福島区)にある。ミシンや工具で雑然とした中、イチローや松井らがつい最近まで使っていたグラブがこともなげに置かれている。

「柔らかい素材で、軽く、よく開く。それがオリックス時代のイチローのグラブ。米では天然芝の球場がほとんどで、芝が長い。ゴロがスネークするというわけです。『おわんのようなポケット(捕球エリア)が欲しい』。そう言われました。今は手口(捕球面の手首近く)を5ミリ広げたのを気に入って使ってます。プロの要望は全員違います。そこを自分で判断して作ったら絶対だめ。必ず聞かないかんのです」

工房にある小さなソファ。阪神の桧山進次郎、日本ハムの坪井智哉ら一線の選手が座り、グラブを注文する光景は珍しくない。使う側も作る側も〝達人〟。グラブ談議は阿吽(あうん)の呼吸だが…。

「ある選手が『こっちのボールはこうして捕るんや』と指の形で注文を表すんです。私も草野球やってましたけど、理解できない部分があります。完全にフィーリングの世界ですから。それをどうグラブで表現するかが難しい。まず最初に作って『あかん』と言われ、どこが悪いのか聞きます。そうして抽象的なことが具体的になるわけです」

坪田さんがプロのグラブを手がけるようになったのは昭和49年。同センターの前身の大阪工場で、当時米国製グラブが主流だったプロ野球の世界に日本製を浸透させようと、プロジェクトチームが発足して以来。

「『職人にはなるな、技術者たれ』。チームを引っ張った副社長(大西梅夫さん、故人)に言われたんですが、今もいい言葉やなと思うんです。職人はこれええやろと押し付ける。しかしプロの好みは千差万別。突拍子もないこと言われても、そしたら一度作ってみます、と。私は絶対押し付けはしないんです」

■産経抄 4月6日

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