生涯現役の〝まんが道〟 藤子不二雄(A)さん死去

藤子不二雄Ⓐさん。カメラに向かって喪黒福造のドーン!!=2018年10月29日、東京・一ツ橋の小学館(酒巻俊介撮影)
藤子不二雄Ⓐさん。カメラに向かって喪黒福造のドーン!!=2018年10月29日、東京・一ツ橋の小学館(酒巻俊介撮影)

「藤子不二雄」の漫画やアニメとともに年を重ね、特別な思いを抱く人は多いだろう。7日、川崎市の自宅で亡くなっていることがわかった藤子不二雄(A) (本名・安孫子素雄)さんは、平成8年に死去した藤子・F・不二雄さんと長年コンビを組み、戦後の日本漫画界を牽引(けんいん)してきた。児童向け漫画をはじめ、ブラックユーモアや怪奇漫画、自伝漫画など幅広いジャンルに挑戦。80歳を超えても連載を続けるなど「生涯現役」の漫画家だった。

富山県氷見市の650年以上の歴史を持つ曹洞宗の古刹(こさつ)、光禅寺の跡取りとして生まれた。幼少期に住職の父を亡くし、小学5年で母親と同県高岡市に引っ越した。そこで、後の盟友となる藤本弘と出会う。手塚治虫の作品に衝撃を受け、漫画家の道を歩むことを決意した2人。後のコンビ名「藤子不二雄」は、2人の名前をもじってつけられた。

昭和29年に上京。後に〝漫画家の聖地〟と呼ばれる「トキワ荘」で、石ノ森章太郎や赤塚不二夫ら漫画家仲間らと切磋琢磨し、漫画の腕を磨いた。藤本とタッグを組んだ「オバケのQ太郎」をはじめ、「忍者ハットリくん」や「怪物くん」など、国民的ブームを巻き起こす作品を相次ぎ発表した。

「僕は藤本君と出会ったからこそ、漫画を描き続けられた。出会いがなかったら、僕は絶対に漫画家にはなっていなかったでしょう」。生前のインタビューで、安孫子さんは長年の相棒についてこう語っていた。

ただし、2人はやがて別々の創作の道を歩むようになる。藤本が「ドラえもん」などの児童漫画に集中する一方で、安孫子さんは人間の弱さや愚かさ、虚栄心など負の側面も見据えた青年向けの漫画に取り組んだ。「ドーン」の流行語を生んだ「笑ゥせぇるすまん」をはじめとしたブラックユーモア。ヒーロー漫画全盛の時代にいじめられっこを主人公に据えた「魔太郎がくる‼」。さまざまなジャンルに挑み、そのたびに新境地を切り開いていった。

座右の銘は「明日にのばせることを今日するな」。「漫画一筋」の藤本に対し、安孫子さんは社交的な性格で知られ、歌手の井上陽水さんらとの幅広い交友でも知られた。趣味のゴルフを活かし、「プロゴルファー猿」などの作品も生まれた。旺盛な創作意欲と好奇心は衰えることなく、80代でコミックエッセー「PARマンの情熱的な日々」を連載するなど、漫画を描き続けた。

「忍者ハットリくん」をはじめとした一連の作品はアジア圏など海外でも愛されている。多くの人々を魅了し、夢を追うことのつらさも素晴らしさも描き続けた88年の〝まんが道〟が幕を閉じた。(本間英士)

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