くじら日記

林館長が勇退 開館準備含め54年間奮闘

コビレゴンドウを訓練する林克紀氏=昭和40年代、和歌山県太地町立くじらの博物館
コビレゴンドウを訓練する林克紀氏=昭和40年代、和歌山県太地町立くじらの博物館

昭和44年4月2日にオープンした和歌山県太地町立くじらの博物館を、開館前から支えてきた林克紀館長(72)が今年3月31日付で勇退しました。館の歴史と変遷を近くで見続け、創設者である故庄司五郎町長の思いを受け継いだ一人でした。

林館長は、昭和25年に太地町に生まれました。父親がゴンドウ漁に使われるテント船に機関士として乗るなどしており、クジラは身近で暮らしの一部であったようです。開館直前の昭和43年、高校を卒業してすぐに太地町に奉職。当時の職員とともに、世界一のくじらの博物館を目指し、懸命に努力したと聞きます。

夏場にオホーツク海でとられたセミクジラの巨大な臓物が運び込まれ、腐敗した臭いと油に苦戦しながらも液浸標本にしました。5年後には、そのクジラの全身骨格を、鯨類研究の権威でくじらの博物館の顧問でもあった故西脇昌治先生の指導と叱咤(しった)激励のもとで組み上げました。苦労の末にできた標本や全身骨格は、現在も欠かすことができない代表的な展示物であり、技術も継承されています。

また開館して間もなく、自然プールに放たれた30頭以上のコビレゴンドウがかたくなに餌を食べなかったため、夜に餌をやったり、はえ縄のようにロープを張ってひもで餌をつるしてみたり、あるいは捕まえて強制的に食べさせたりと、餌付けに奮闘したとも聞きます。当時のエピソードは興味深く、情景が目に浮かぶようです。

林館長は、その後館の設備や事務を担当し、平成16年11月に館長に就任しました。副館長として林館長を支えた白水博獣医は「国外水族館との学術交流やイルカの輸送、シャチの貸し付けや譲渡、腹びれのあるバンドウイルカの飼育研究などで、苦労が多い時代だった。林館長が職員をまとめ、地道な努力を積み重ねたことで続けることができた」と振り返ります。

令和2年4月からは、筆者が副館長となり、林館長の側で仕事をする機会を得ました。林館長の座右の銘である「和を以(も)って貴(とうと)しとなす」について教えを受けたことがあり、和と礼を大切にし、調和をとることへの理解を深めました。

確かに、館長就任以来の18年間、激動を乗り越えられたのは、館が一丸となって町と連携し、諸先生方のご支援があったからこそで、林館長の座右の銘を体現できたのだと思っています。

令和4年3月の定例町議会の最終日、林館長は「職員の努力によって、博物館は充実し、イベントや売店の売り上げが良くなった。入館者数増に向けて、これからも頑張ってほしい」と激励し、感謝の言葉も述べられました。開館準備を含めると、くじらの博物館と54年間歩んだ林館長のご勇退は、残るわれわれにとって大変心もとないですが、授った意志や言葉を胸に刻み、前に進みたいと思います。心より感謝申し上げます。

(太地町立くじらの博物館館長 稲森大樹)

今月1日から館長は、副館長だった稲森大樹氏が務めています。

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