痛みを知る

山上憶良もリウマチ? 光源氏も風邪に苦しんでいた

人と〝痛み〟とのつき合いは古い。過去の文学作品のそこここに、痛みがちょくちょく顔を出していることがその証左であろう。今回は、過去の文学作品をひもといて、当時の人たちがどのような痛みに悩み、いかに痛みと対峙(たいじ)していたのかについて考えてみよう。

古くは「万葉集」。《魂は朝夕(あしたゆうへ)に賜ふれど我が胸痛し恋の繁きに》との歌があるが、ここでの痛みは切ない心持ちであって、打ち身や切り傷の痛みではない。

万葉の時代にはこのように心持ちを表す、または程度の甚しい様(いたく…である)の表現として痛みは用いられていた。しかし、言語学者は「文献的に見当たらないだけであって、口語として傷の痛みが先にあって当然」としている。

この時代の歌人・山上憶良も「関節リウマチ」に苦しんだのでは? と考えられている。74歳の時に著した「沈痾自哀分(ちんあいじあいぶん)」には、《四肢は動かず全ての関節がひどく痛む》とのくだりがあるのだ。

「源氏物語」になると、「風邪で頭が痛い」との記述が2カ所にある。「夕顔」では、風邪をひいた光源氏が、天皇の使いの頭中将に《この暁より、咳病(しはぶきやみ)(せき込むこと)にや侍(はべ)らん、頭いと痛くて苦しく侍れば、いと無礼にて聞こゆること》と言い訳をしている。

平安時代には、病気はすべて〝物の怪〟によるものとして片付けられた。「枕草子」(三〇五・病は)の書き出しにも《病は胸。物の怪》とある。

江戸時代には、美しい者は強い者であるとされ、人々はこぞって入墨を入れた。谷崎潤一郎は、「刺青(しせい)」でこの時代を描き、痛みを大きなテーマとして扱っている。若い刺青師(ほりものし)・清吉は、《刺青のうちでも殊に痛いと云(い)われる朱刺(しゅぼり)、ぼかしぼり、…それを用うることを彼は殊更喜んだ》-。そして、痛みに苦しむ客を足下にして《「さぞお痛みでがしょうなあ」といいながら、快さそうに笑っている》とする。

明治時代、夏目漱石は「坊っちゃん」をすぐに痛がったり、疲れたりする人物として描いたが、実は漱石こそが痛みをはじめとするさまざまな症状に悩まされ続けていたのである。加えて、鏡子夫人の頭痛と肩こりも有名であり、彼の作品には多くの頭痛持ちが登場する。たとえば「三四郎」の美禰子であり「それから」の代助、「門」の御米(およね)らをみれば明らかだ。

徳富蘆花は、「不如帰(ほととぎす)」上篇五の四で、主人公・浪子のしゅうとめが持病の僂麻質斯(りうまちす)(関節リウマチ)に苦しんでいる様子を《「あのね、川島のおばあさんがね、僂麻質斯で肩が痛むでね、それで近頃は大層氣むづかしいのですと」》と描いている。これらは、わが国でも古くから関節リウマチによる痛みに悩まされていた方が多かったことを示している。

石川五右衛門ではないが「浜の真砂は尽きるとも、世に痛みの種はつきまじ」である。

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