話の肖像画

谷垣禎一(4)田舎の秀才が名門校で学ぶ意義

両親と弟の4人家族だった(右端が本人)=昭和28年
両親と弟の4人家族だった(右端が本人)=昭和28年

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《昭和32年、中高一貫の男子校、麻布中学校(東京都港区)に入学した。開成中学校、武蔵高等学校中学校と並び「御三家」と称される名門だ》


麻布は国語教育が非常に充実した学校でした。中高の6年間、麻布でしっかり教育を受ければ、国文学のあらすじは大体つかめると思います。皆さんも万葉集や古今和歌集なんかの代表的な和歌を教わったでしょう。伊勢物語を読み、徒然草を読み、とやっていると、だんだんそういうものが身につくような教育体系だったと思います。先生が優れていたのかもしれません。

だけど私は全然勉強しないで遊んでばかりいたから、古文の文法などは途中で全然分からなくなっちゃったんです。そうしたら、山岳部の顧問だった国語の先生が「俺はお前をそんなに出来の悪い男だとは思っていない」と言って指導してくれて、伊勢物語を最初から最後まで読みました。当時の岩波文庫の伊勢物語は濁点がなかったりして高校生が読むのはすごく難しかった。古語辞典を引きながら一生懸命勉強した記憶があります。

実は最近、もう一回国語を勉強しようと思いましてね。その先生が勧めてくれた本をインターネットで探して買ったんですよ。今さら昭和二十何年に出た本を手に入れようとすると結構高いんですが。『古文解釈のための国文法入門』(松尾聰著)という本でね、「序説」で度肝を抜かれたんです。「諸君は次の問に答えられるか。もし答えられないのだったら、この本を読む必要があるだろう」。答えられなかった当時の私は続きを読み、苦手意識をいくらか克服したわけです。

麻布では漢文にも力を入れていました。今はどうか知りませんが、あれだけ熱心に漢文を教えてもらったのはありがたかったですね。大人になってからも陶淵明(とうえんめい)(中国六朝時代の詩人)の全集を毎年読み返しました。自転車事故で入院している間も1回は読みましたね。看護師さんに「何を読んでいるんですか」と聞かれて、あげてしまいましたが。


《成績優秀な生徒ではなかったという谷垣さん。そんな息子に、父の専一さんは自らの経験を踏まえ、独自の「名門校で学ぶ意義」を教えた》


あまりに成績が悪いので、担任の先生に「これじゃどうしようもないぞ」と言われたこともありました。おやじによく言われましたよ。おやじは中学まで京都の田舎にいて、旧制三高に入ったとき、京都市に出てきたんですね。「わしも田舎ではそれなりの秀才やったんや。ところが三高に入って京都に行ったら、頭のええやつがようけおる。結局、ああいうとこへ行ってよかったことは、世の中にはこんな頭のええやつがおると分かったことや。そういうことは早く知ったほうがええな」と。

例えば田舎で将棋の強い子はいくらでもいると思いますけど、誰もが藤井聡太五冠になれるわけじゃないですよね。田舎の秀才が都会で就職して「こんなようできるやつがおるんや」ということもいくらもあるでしょう。この間、東大進学に挫折した名古屋の高校生が東大前で受験生を刺した事件がありましたが、彼も世の中には頭のいい人がたくさんいるということをもう少し早く知っていたら、違っていたのかもしれません。


《政界に麻布OBは多い。福田康夫、橋本龍太郎両元首相、平沼赳夫元経済産業相、与謝野馨元財務相らを輩出している》


(元厚相の)丹羽雄哉さんとは同級生で、席が並んだこともありました。おやじさん(喬四郎元運輸相)が代議士で、彼が「選挙は面白いぞ」と言うのをひとごとのように「へえ」と思って聞いていたのですが、高1のとき、うちのおやじも代議士になりました。(聞き手 豊田真由美)

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