話の肖像画

谷垣禎一(3)日本隊マナスル初登頂が開いた世界への扉

自宅に飾っている今西寿雄さんの写真(鴨志田拓海撮影)
自宅に飾っている今西寿雄さんの写真(鴨志田拓海撮影)

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《フランス隊のアンナプルナ、英国隊のエベレスト…。1950(昭和25)年から64(同39)年にかけ、世界に14座ある8千メートル峰の初登頂ラッシュが起きた。とりわけ今西寿雄さんら日本隊による56(同31)年のマナスル初登頂が当時の日本人に与えた衝撃は大きい。小学生だった谷垣さんにも鮮烈な印象を残した》


私が5歳から19歳になるまでの間に、人類は14年かけて8千メートル峰全14座の頂に到達しました。私はその間、潜在的にものすごく影響を受けていたと思うんです。69(同44)年には人類初の月面着陸にも成功しましたが、それに近いものがありました。おやじに手を引かれてエベレストやマナスルの記録映画を見に行ったのを覚えています。

山に関心を持ったのは、時代の特色も関係しているのかもしれません。私が中学や高校のころは、日本は外貨をほとんど持っていませんでした。外貨を割り当てられるのは、公務や何かで外国に行かなければならない特殊な人だけ。大多数の人はカネがないから日本の外へは出られなかったわけです。私はおやじによく言われました。「お前らは気の毒だな。俺は学生時代、朝鮮や満州を旅行して日本とは全然違うものを見ることができた。でもお前たちは(北海道、本州、四国、九州の)4つの島に閉じ込められて育ち、視野が狭くなっている」と。

今の人はこんな古い歌をご存じないと思いますが、昔「狭い日本にゃ住み飽いた」という歌(「馬賊の歌」)がありました。大陸浪人がよく歌った歌です。今からすれば、侵略主義者の歌といえるかもしれません。だけどやっぱり、当時の日本人には戦争に負けた悔しさがありました。私が小さいころはまだアメリカの占領下にあって、遠くまで目を向けて日本の進む道を考えるなんてことは、なかなかできなくなっていたわけです。ちょっと遠くへ目を向けていろいろ考えると、すぐ「侵略主義者だ」みたいな目で見られるということも、なかったわけではないと思います。

もっとさかのぼれば、敗戦後の日本は食糧難で、みんな栄養不足だった。だから米国からガリオア資金などの援助を受けたり、タンパク質不足を補うために南極海に行ってクジラを獲(と)ってきたりしたわけですね。私も幼いころ、捕鯨船団が南極海に向かう日におやじに連れられて港へ行き、日の丸の旗を振りながら「バンザーイ、バンザーイ」と言って見送った記憶があります。「4つの島」に逼塞(ひっそく)していた当時の日本人にとって、日章旗を掲げて赤道を渡り、南の果ての氷の海まで出かけていく捕鯨船団は、希望の象徴だったのではないかと思うのです。

つまり、今とは全然違って、日本の外に出ることは非常にハードルが高い時代だった。そんな中で、14の人跡未踏の地が一つ一つ制覇されていったわけです。私はそれに非常に関心を持ちました。それも日本人がですよ、ネパールへ行って、世界で初めて、まだ人類が行ったことのない場所に到達したということの意味…。それは「4つの島」に逼塞している日本人にとって非常に大きかった。だから私は山を好きになったんです。だから登山をやっていたわけですね。


《山に魅了された谷垣さんは中学から大学まで山岳部に所属し、山登りに熱中した。現在暮らす都内の自宅では、マナスルの頂に立つ今西さんの写真を飾っている》


(平成28年に)自転車でけがをして車いすで生活することになったので、家をバリアフリー仕様に改築したんですね。その際、業者さんが今西さんの写真を記念に贈ってくださったんです。私の世代にとって、今西さんはレジェンド的存在。リハビリがつらいときはこの写真を見て、自分を奮い立たせています。(聞き手 豊田真由美)

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