モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら

(124)私たちに託されたロウソク

ありえないロシア文化排除

人間は、悲しいかな自分の器でしか物事を判断できない。敵対する人々の言論を弾圧して物理的拘束を加えるのは当然と考える男なら、そう考えても仕方ないのかもしれない。

ロシアのプーチン大統領は、テレビ放送された文化人との会合で、西側諸国がチャイコフスキーやショスタコービッチといった作曲家を含むロシア文化全般を排除しようとしていると指摘し、その行為を1930年代のナチスドイツになぞらえたのだ。

バカを言うな。西側諸国の誰もドストエフスキーやトルストイの小説、タルコフスキーの映画、チャイコフスキーの音楽を排除しようなんて思ってはいない。人々が熱望しているのは、プーチン大統領とその取り巻きの排除だ。

この会合でプーチン大統領は、チャイコフスキーの名を挙げたが、問題にされているのは、ロシアに進軍してきたナポレオン率いるフランス軍を撃退した史実に基づいた大序曲「1812年」だけだろう。ロシアの勝利を高らかに歌い上げ、大砲が轟音(ごうおん)を響かせる作品だ。ロシアがウクライナに侵攻し、多くの市民を殺戮(さつりく)しているいま、この曲の演奏を控えるのは、人間として常識的な判断にすぎない。

また、プーチン大統領の念頭には、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場芸術総監督のワレリー・ゲルギエフ氏が、ドイツのミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を解任され、イタリアのミラノ・スカラ座で予定されていた公演がキャンセルされたこともあったはずだ。

そもそもゲルギエフ氏とプーチン大統領は盟友関係にあり、2014年にロシアがクリミアを併合したさい、芸術家たちが集めた「プーチン大統領の対ウクライナ政策を支持する署名」の中にゲルギエフ氏の名前があったのは周知の事実だ。ショスタコービッチの例を挙げるまでもなく、社会主義国家や独裁国家における芸術家と政治の関係が、一筋縄ではいかないことは重々承知しているつもりだが、ここで踏み込む余裕はない。明確なのは、ゲルギエフ氏が西側諸国で排除されたのは、彼がロシア人だからではなく、プーチン大統領と特殊な関係をもっていたからだ。特殊な関係を利用して地位を得た者が、それを理由に排除されても文句は言えまい。

文化的劣等感とひがみ根性

プーチン発言を聞いて、もうひとつ強く感じたことがある。それは西側諸国に対する文化的劣等感と、それに根差した「自分たちは軽んじられている」というひがみ根性だ。19世紀初頭を舞台にしたトルストイの『戦争と平和』は、サンクトペテルブルクにある貴族のサロンの会話で始まる。これがフランス語なのだ。停滞するロシアを西ヨーロッパ風の大国にしようとしたピョートル大帝(在位1682~1725年)の政策により、18世紀から19世紀初頭にかけて、ロシアの貴族の間でフランス語は〝公用語〟の地位を占めていた。トルストイはその風俗を忠実に反映したわけだ。

ドストエフスキーの『悪霊』(亀山郁夫訳)にも、登場人物が直截(ちょくせつ)に文化的劣等感を吐露する場面がある。『悪霊』は「目的は手段を正当化する」との原則を冷酷に貫いた無政府主義の革命家、セルゲイ・ネチャーエフが1869年、自分の組織した秘密結社内でひとりの大学生をスパイ容疑で殺害した事件をもとに構想・執筆された作品だ。

問題の発言の主は、ロシア停滞の原因を農奴制やロシア正教会とみなす「西欧派」の進歩的知識人だ。

《屈辱的といっていいくらいぼくたちが無力で、まともに思想を生みだせていないだけのことですし、ほかのいろんな国民にたかって暮らしてきたぼくたちの、じつにみっともない寄生癖なんですよ。(中略)ああ、ロシア人なんて、有害な寄生虫っていうことで、殲滅(せんめつ)されてしかるべきなんです、人類の幸福のためにね!》

これ以上の自虐の言葉にはなかなかお目にかかれないだろう。その一方で、西欧派に対抗して、高い精神性をもったロシアには独自の進むべき道があり、その核となるのはロシア正教と考える「スラヴ派」の若者にこう言わせる。

《民族というのは、神のからだです。どんな民族も、自分たち独自の神をもち、この地上のほかのすべての神々を、和解などいっさいぬきで排除しようとするあいだだけ、民族でいられるんです》

ロシア人の根底には、ドストエフスキーの時代も、神を追放したソ連時代も、ソ連崩壊後も、このふたつの意識が脈々と流れているように思える。軍事、宇宙開発、スポーツにあれほどの執念を燃やせる原動力は、根深い文化的劣等感と高貴なるロシアという幻想がせめぎ合って生じる熱ではなかろうか。

隠喩に満ちた美しい映画

話題を変えよう。ソ連のアンドレイ・タルコフスキー監督が1983年にイタリアで撮った「ノスタルジア」をひさしぶりに見た。詩的な美しさと隠喩に満ちた謎めいた作品で、いまだに理解できたとは思えない。

主な登場人物は、ソ連の詩人で心臓を患っているアンドレイ、助手兼通訳の女性、エウジェニア、初老男性、ドメニコの3人。アンドレイは18世紀ロシアの作曲家の伝記を書くために、祖国に家族を残し、エウジェニアを伴いイタリア各地をめぐっていた。時折フラッシュバックのように、ロシアの霧のかかった草原と森、透き通った水、そして家族の幻影がアンドレイを襲う。旅も終わりに近いころ、トスカーナ地方の温泉地で、周囲から狂人とみなされているドメニコに出会う。世界の終末が来るのを信じて、家族とともに自宅に7年間もひきこもり、あげくの果て家族に逃げられた男だ。

神を追放した国からやってきたアンドレイは、ドメニコの言動に興味を持ち、廃虚のような家を訪ねる。パンと赤ワインをアンドレイに差し出し、本来は人類全体を、世界を救わなければならないのに、家族だけを救おうとした自分はエゴイストだったと反省の弁を述べるドメニコ。アンドレイがどうすれば世界を救えるのかと問うと、ロウソクをともして町の広場にある温泉に入り、火を消さぬように端から端まで渡り切ればよいという。ドメニコはローマでもっと大きなことをするので、代わってやってほしいとロウソクをアンドレイに託す。この後の展開はここに書かない。

アンドレイに自身を投影したタルコフスキー監督は撮影後、西側に亡命する。85年に核時代の黙示録と称される「サクリファイス」を撮り、86年にパリで亡くなる。54歳だった。タルコフスキー監督は「サクリファイス」を撮ることで、ドメニコの願いにこたえた。

目には見えないが、誰の手にもドメニコから託されたロウソクがあるはずだ。もちろんプーチン大統領の手にも。


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