ロシアからの侵攻を受け、激しい戦闘が続くウクライナ。壊滅的な被害を受けている東部ハリコフから滋賀県彦根市へ逃れたウクライナ人女性2人が31日、大津市の県公館で記者会見し、戦場での壮絶な体験や現在の苦しい心境を吐露した。「幸せを感じていた日常はもう私たちにはない」。それでも日本人の親切さに触れるなどし、癒やされたという。戦禍のウクライナにとどまる人たちを日本に呼び、命を救いたいと願っている。
薬品会社で働いていたイリーナ・ヤボルスカさん(50)と母のギャリーナ・イバノバさん(80)。日本人と結婚して彦根市に住むイリーナさんの娘、カテリーナさん(31)を頼って避難してきた。
ギャリーナさんはハリコフでの暮らしについて「平凡で幸せな生活があった」と振り返る。しかし、ロシア軍による攻撃が始まると、住み慣れた街と生活は一変した。ミサイル攻撃や砲撃が絶え間なく続き、市民は地下鉄駅をシェルターとして利用するようになった。イリーナさんは行政庁舎が爆撃される様子を自宅から目撃し、底知れぬ恐怖を感じたという。
幼少期に第二次世界大戦を経験したギャリーナさんは「再びこのような悲惨な戦争が起きることは到底予想できず、ロシアの大統領がここまでひどいことをするのは想定の範囲外」と声をふるわせた。
あちこちで聞こえる激しい爆撃音、攻撃におびえる人々-。イリーナさんは「まともに睡眠をとることができず、長くても3、4時間しか眠ることができなかった」と過酷な状況を振り返った。自宅にいてもいつ命を落とすか分からない危険な状態に避難を決め、2人は3月7日に街を脱出。道中に攻撃される可能性もあり、「逃げている間はただただ怖かった」という。
定員の3倍の乗客を乗せていたというすし詰め状態の列車に21時間ゆられ、西部リビウへ移動。その後、何とか隣国のポーランドまで逃れた。同国で働ける場所を探したが見つからず、カテリーナさんの住む日本を目指した。現在は彦根市内の県の施設で暮らしている。
カテリーナさんとは約4年ぶりの再会で、初めての来日となった。「日本を訪れることは夢の一つだった」というイリーナさんは「こんな形で来ることになるとは思ってもいなかった」。ギャリーナさんは「日本に来て眠れるようになったし、食べることもできている。ただし、怖さが残っている」と複雑な心境を明かした。
それでも来日してからは日本人の親切さに胸を打たれたり、日本の風景に癒やされたりしたという2人。「親切にしてくれてありがとう」と感謝の言葉を語り、「一人でも多くのウクライナ人を日本へ呼ぶことで命を救いたい」と話した。カテリーナさんも「ウクライナの人たちに『日本に来る選択肢があるんだよ』と知らせる努力を強化してほしい」と訴えた。(清水更沙)