現代に通じる茶の道を拓(ひら)き、政治や武家、商人に多大な影響を及ぼした茶聖、千利休。豊臣秀吉の逆鱗(げきりん)に触れたなど諸説ありながら、切腹という壮絶な最期を迎えた、と400年超にわたり伝えられてきた。
この通説に疑義を唱える研究者がいる。「利休は切腹しておらず、追放されて九州に逃げ延びていた」。茶の湯の歴史に詳しい文教大の中村修也教授は、こう主張する。
契機は9年前、「千利休が切腹した場所は京都か堺か」という質問を受けたことだ。研究者にとって「利休が京で切腹したのは自明のこと」(中村さん)だった。根拠を示すため、利休が切腹したとされる1591(天正19)年2月28日前後の史料を探った。意外な事実に気づく。同時代の史料の多くは、利休の切腹をあまり明確に書いていないのだ。