<干し魚を商う千与四郎(せんのよしろう)の家は、そのすこし南の今市町にあった。大きな問丸(といまる)で、十間間口(じつけんまぐち)の広い店に、大勢の奉公人が住み込んで働いている…>。山本兼一さんの直木賞受賞作「利休にたずねよ」は、大阪・堺の商家の主、34歳の与四郎(千利休)を描く。<家業の干し魚の商いも、納屋貸し業もいたって順調で…>
天下一の茶人、利休。その名が広く知れ渡るのは52歳のとき、織田信長から茶会を取り仕切る「茶頭(さどう)」に取り立てられてからだ。名を成した晩年に対し、前半生を伝える史料は極めて少ない。利休はいかなる前半生を送ったのか。