「鎌倉殿の13人」舞台の伊豆 坂東武者に思いはせる

鎌倉幕府の2代目執権、北条義時が創建した北條寺=静岡県伊豆の国市
鎌倉幕府の2代目執権、北条義時が創建した北條寺=静岡県伊豆の国市

今年1月から始まったNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。鎌倉幕府の2代目執権となる北条義時が主人公で、伊豆地方の豪族の素朴な次男だった義時が日本一の権力を持つまでを描く。ドラマの序盤、源頼朝の挙兵を支えた北条氏や政変の渦に巻き込まれた坂東武者らが躍動した伊豆半島を訪れ、歴史の舞台に思いをはせた。

まずは北条氏の本拠地だった静岡県伊豆の国市へ。車で伊勢湾岸道から新東名道に乗り、東に向かっていると、雪をいただいた富士山が現れた。まるで併走してくれているようだ。

平安時代末期、平氏の棟梁(とうりょう)だった平清盛が隆盛を誇っていたころ、北条氏は伊豆の小さな豪族でしかなかった。しかし、平治元(1159)年、源氏が平氏に敗れた平治の乱が起こり、13歳だった源頼朝が伊豆に配流される。北条時政の長女、政子と頼朝が結婚し、北条氏の運命は大きく変わる。北条氏ら坂東武者を味方につけた頼朝は治承4(1180)年、平家を打倒するため挙兵した。

伊豆の国市には、かつて北条氏の館があった史跡「北条氏邸跡」がある。当時の建物の柱などを描いたガラスが設置されており、そのガラス越しに跡地を見ると、建物の規模がイメージできる。平家打倒のために挙兵するか否か、ここで坂東武者らは激論をかわしたのだろうか。

国史跡「北条氏邸跡」。当時の柱などを描いたガラス越しに見るとイメージが広がる=静岡県伊豆の国市
国史跡「北条氏邸跡」。当時の柱などを描いたガラス越しに見るとイメージが広がる=静岡県伊豆の国市

次に訪れた北条義時が創建した北條寺(同市)は、拝観者らでにぎわっていた。同寺によると、例年は月に100人ほどしか訪れないが、大河ドラマの放映が始まってからは、月約3千人に増えたという。

「こちらにどうぞ」と仏殿に案内をしてくれたのは、住職の長女、中田美加さん(50)。急増した拝観者に対応するため、会社勤めをやめたそうだ。仏殿には鎌倉前期の阿弥陀如来像や、政子が寄進したと伝えられる牡丹鳥獣文繡帳(とばり)などがあり、美しさに目を奪われた。

境内には義時夫妻の墓もあった。東京に住む息子らと訪れた鹿児島市の前薗博昭さん(73)は「最初の武家がこの地から生まれたと思うと感慨深いですね。次の旅行では鎌倉に行ってみようと思います」と話していた。

多くの人が訪れていた北条義時夫妻の墓=静岡県伊豆の国市の北條寺
多くの人が訪れていた北条義時夫妻の墓=静岡県伊豆の国市の北條寺

頼朝が挙兵した際、平家方について散った坂東武者もいる。伊豆の大豪族で平清盛の信頼が厚く、配流された頼朝の監視役を任されていた伊東祐親(すけちか)もその一人だ。

自らの不在中に娘の八重と頼朝が関係をもったと知ると、平家への恩義から生まれた男児を殺害。その後、勢力を増した頼朝側から味方になるよう打診されるが、最後まで平家への忠義を貫き、自害した。

小高い丘の上の公園にある伊東祐親像。この地に祐親の館があったといわれている=静岡県伊東市
小高い丘の上の公園にある伊東祐親像。この地に祐親の館があったといわれている=静岡県伊東市

その祐親ゆかりの地、静岡県伊東市へ足を延ばした。小高い丘の上にある物見塚公園はかつて祐親の館があった場所で、祐親像がある。威勢を振るった一族の将らしく、馬にまたがった姿は勇壮だ。

少し歩くと、民家と民家に挟まれるようにひっそりと祐親の墓があった。信念を貫いた伊東の武将を静かに悼んだ。(小山浩子)

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