石仏は語る

室町初期 六面体の石造品 誓願寺六地蔵石幢

誓願時六地蔵石幢
誓願時六地蔵石幢

天正18(1590)年に豊臣秀吉は、町割による都市計画から、市中の寺々を鴨川縁(べり)に整理しました。浄土宗西山深草派の誓願寺は、三条通と四条通の間に広大な寺域を有し、不断念仏の道場として信仰を集めました。今は新京極通と称される繁華街になっていますが、明治5年頃に、新たな盛り場計画を企てたのは当時の京都府参事、槇村正直(まきむら・まさなお)であったといいます。寺の面影はほとんどありませんが、六角通を隔てたところに墓地が残っています。

石幢(せきどう)とは、堂内の須弥壇(しゅみだん)脇に見られる細長い荘厳具(しょうごんぐ)のひとつ、幢幡(どうばん)を集めた形で石造化したものといわれています。中国では隋代以後の優れた遺品が残されており、日本には鎌倉時代初期には伝わったと考えられます。

総高約136センチで、石材を六角形に加工した六面体の石造品が残されています。残念なことにこの石幢は完形ではなく、幢身(どうしん)部分だけが残されています。幢身上部にあったとみられる笠部や宝珠、請花は欠失しています。

また、幢身頂部には龕穴(がんけつ)が開いており、経典を埋納した施設の可能性があります。その上に笠石を載せ、閉じられていたと考えられます。その幢身上部の各面には、浅い光背を彫り込み、肉厚な蓮華(れんげ)座に立つ、像高約36センチの地蔵菩薩立像の厚肉彫りが見られます。地蔵菩薩は6体、1カ所は欠損していますが、像容は画一的で自然な形態です。衲衣(のうえ)紋は思い切って意識的に変形させる凹凸感をもった細工です。

石材は、兵庫県高砂市で産出される竜山石製とみられます。錫杖(しゃくじょう)を持つ地蔵菩薩の下部に「一結衆并無縁六親/右意趣者為/眷属乃至法界平等利益故也/永享(えいきょう)十一(1439)年十一月二十四日敬白」と願文があり、室町時代初期の遺品です。(地域歴史民俗考古研究所所長 辻尾榮市)

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