軍医・文豪として名をなした森鷗外(林太郎)、「近代日本医学の父」で細菌学者、北里柴三郎。医師で作家の著者が、明治から大正にかけての日本の衛生行政樹立において双璧をなす2人を描いたライバル物語。
津和野藩典医の家に生まれた鷗外と、阿蘇の寒村で庄屋の家に生まれた北里は、東京医学校(現・東大医学部)で出会う。級は鷗外が2年上だが、年齢は北里が9歳上だった。
「無用に人を刺激する」言動の北里に、鷗外が「アイツはぼくの疫病神なのかもしれない」と直感した通り、2人の人生は「北里が浮かべば、ぼく(鷗外)は沈む」ように交錯する。
それぞれ陸軍、内務省からドイツに官費留学。鷗外はやがて陸軍軍医総監、陸軍省医務局長とトップに上り詰める。その過程で軍医部内の軋轢(あつれき)や、森家の軛(くびき)に苦悩しながらその心情を評論、小説にのせ、軍医・医事評論家・作家の「三面の阿修羅」となっていく。
ドイツで細菌学の始祖・コッホに師事、「四天王」に列せられた北里は凱旋(がいせん)帰国も、政府、大学は冷遇。福沢諭吉の支援で始めた私立伝染病研究所(のち国有化)の所長として道を切り開き、北里研究所を設立する。
陸海軍を揺るがす脚気(かっけ)論争でともに禍根を残し、留学時のロマンスなど毀誉褒貶(きよほうへん)も多い。折々で衝突しつつ、2人は衛生学を究め、国が民の健康を守る仕組みとしての「医療の軍隊」構想の実現に邁進(まいしん)する―。
著者によれば、「二人の交流の心情的な記録」はほとんどなく、本書も「史実をもとにしたフィクション」。従来いかめしいイメージの2人はもちろん、それぞれの後ろ盾の福沢、山県有朋、北里の盟友・後藤新平、鷗外の親友・賀古鶴所(かこ・つるど)らも躍動的に描き、身近に感じさせる。なかでも北里の口癖「不肖柴三郎、いざ参るったい」は、停滞気味の世に力強く響きそう。
折しも、今年は鷗外の没後100年、令和6年には北里の肖像画が採用された千円札が登場と、注目も新ただろう。
何よりこのコロナ禍、国民の命を守る「医療の軍隊」構想は感染症に向き合う国の在り方に示唆を与えてくれまいか。あとがきの「これは、過去の物語ではない」の言葉をかみしめたい。(海堂尊著/文芸春秋・2200円)
評・三保谷浩輝(文化部)