「薬物依存 敵は孤独」 ダルク創設者、近藤恒夫さん死去 コロナ社会憂慮

近藤恒夫さん
近藤恒夫さん

国内に初めて薬物依存症患者のための回復施設「ダルク」を創設した近藤恒夫さんが2月27日、80歳の生涯を閉じた。自身も薬物依存を経験。「薬物依存者の敵は薬物ではなく孤独だ」と訴え、当事者同士が社会復帰を支え合う仕組みを築いた。がんを患った晩年は闘病生活だったが、新型コロナウイルス禍で深まる孤独の影響を最後まで憂え続けていた。(本江希望)

「長い間、付き合ってくれてありがとうございました」。3月に営まれた近藤さんの葬儀で、50年来の付き合いがある茨城ダルクの岩井喜代仁(きよひろ)代表(74)は涙をこらえきれなかった。

出会った当初、岩井さんは20代で暴力団幹部。薬物依存者の近藤さんに覚醒剤を提供していた。ある日、覚醒剤の効き目が悪いと近藤さんが訴え、「使ってみろ」と迫った。その場で使った岩井さんも、覚醒剤から抜け出せなくなった。

岩井喜代仁さん
岩井喜代仁さん

その後、岩井さんは覚醒剤の所持容疑で逮捕。妻と別れ、引き取った子供たちのために断薬を誓ったが、出所後すぐに使ってしまう。後悔の中で手に取った週刊誌で、近藤さんが創設したダルクの活動に関する記事を偶然目にする。

岩井さんが電話をかけ、2人は約20年ぶりに再会。近藤さんは「子供を手放さずに面倒を見てきたのは見込みがある」と、岩井さんを茨城ダルクの代表として迎え入れた。

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覚醒剤犯罪の再犯率は6割を超える。再就職などの社会復帰が難しく、再び薬物に手を出してしまう悪循環を、近藤さんは当事者同士が支え合うことで断ち切ろうとした。昭和60年にダルクを設立。最初のうちは警察・司法関係者や地域社会の理解を得られなかったが、「刑罰ではなく治療」の重要性を訴え続けた。

近藤さんが岩井さんに伝えたのは、依存症という自分の病気を認め、他人の病気も受け入れること。そして苦しい時も、楽しい時も仲間と一緒にいることだ。

ダルクのミーティングに参加する近藤恒夫さん(左上)=平成2年、東京都荒川区(画像の一部をモザイク加工しています)
ダルクのミーティングに参加する近藤恒夫さん(左上)=平成2年、東京都荒川区(画像の一部をモザイク加工しています)

茨城ダルクでは大部屋に布団を並べ、スタッフと利用者が一緒に寝る。仲間と過ごし、自分の経験を語ることで、岩井さんは薬を断ち続けられている。

「一人にさせない。いかに居心地のいい場所にするか。だから近藤さんはいつもニコニコしていて、誰かを責めたり、強制したりすることは一度もなかった」(岩井さん)

自身も覚醒剤で職を失い、家族を崩壊させた近藤さん。断薬の難しさを心底知っていた。「失敗なんてない」。近藤さんを支えたという神父の言葉がいつしか口癖になり、自身や周囲を励ます原動力になった。

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令和2年春、近藤さんに大腸がんが見つかった。同じ頃、新型コロナの最初の感染拡大が始まり、一部のダルクもミーティングの会場が使えず、オンライン開催になるなど変化を強いられた。「『孤立させない』のがダルクの原点だよ」。人間関係に、物理的にも精神的にも距離を置かざるを得ない事態を危惧し、そう繰り返した。

昨年11月に骨への転移が分かり、今年2月半ばには寝たきり状態になった。その間も病院や自宅に見舞客が絶えなかった。「俺は幸せ者だな」。妻には笑顔でこう語っていた。岩井さんと2人きりになると手を握り、「(ダルクを)頼むな」と懇願した。

2月26日の夜。「明日来るからね」。岩井さんがいつものようにそう言うと、近藤さんはニッコリ笑って「うん」と答えた。翌朝、近藤さんが亡くなったとの知らせがあった。

ともにダルクの活動を続けて30年。依存症から回復した人もいれば、自ら命を絶った人もいた。依存症の人が次の依存症の人を助ける―。ダルクの活動を近藤さんはこう例えたという。

«命のリレーをするんだよ»

「近藤さんの思いを伝え続け、守り抜いていきたい」。岩井さんは力強く語った。

ダルク ドラッグ(DRUG=薬物)、アディクション(ADDICTION=嗜癖(しへき)、病的依存)、リハビリテーション(REHABILITATION=回復)、センター(CENTER=施設)の頭文字を取った造語。昭和60年に東京都荒川区に設立され、現在は全国で約60団体約80施設が活動する。「ミーティング」と呼ばれる当事者同士のグループセラピーがプログラムの中心。平成30年に行った国立精神・神経医療研究センターの追跡調査では、利用者の断薬率は調査から半年で88%、2年で63%だった。


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