亡き妻・河野裕子がつづった「N」 歌人夫婦の告白

妻で歌人の河野裕子さん(右)の死後、見つかった日記をもとに、夫婦の若き日々を赤裸々につづった細胞生物学者、歌人の永田和宏さん
妻で歌人の河野裕子さん(右)の死後、見つかった日記をもとに、夫婦の若き日々を赤裸々につづった細胞生物学者、歌人の永田和宏さん

歌人の永田和宏さん(74)と妻の河野裕子さん(平成22年に64歳で死去)は、歌壇きってのおしどり夫婦として知られた。河野さんの死後に見つかった日記をもとに、永田さんが2人の青春を振り返った『あの胸が岬のように遠かった』(新潮社)を刊行した。大学時代に歌を通じて出会った頃、河野さんの心には別の男性の存在があった。「本当に俺で良かったのか」-。赤裸々な告白とともに、歌人夫婦の若き日の懊悩(おうのう)と愛の記憶が浮かび上がる。

恋歌の相手

恋や愛、家族の歌を新鮮な言葉で詠み、戦後生まれの代表的な女性歌人として活躍した河野さんは、乳がんを患い闘病の末に12年前に死去。永田さんは遺品を整理する中で、十数冊の日記を発見した。「すぐに開くことはできず、3、4年前に読み始めた」というそれには、高校生の頃から大学時代に2人が出会い、やがて結婚するまでの7年間の濃厚な時間が残されていた。

昭和42年、京大理学部で学んでいた永田さんと京都女子大の学生だった河野さんは、歌会に参加して知り合った。よく笑うかれんな少女が、時折見せる陰影を感じ取った永田さん。その頃、既に河野さんの心の中には「N」という青年の存在があった。

永田和宏著「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社)
永田和宏著「あの胸が岬のように遠かった」(新潮社)

≪二人のひとを愛してしまへり≫

≪永田さんとNさんが こころの内でもみ合っている≫

日記には2人の男性を思って悩みもがく姿が、克明に記されていた。「河野は思いつめたあまり、目の前で倒れたこともある。それほどに、どうしようもなくなっていました」

河野さんの代表歌の中でも、最も有名な歌がある。

≪たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫(さら)つて行つては呉(く)れぬか≫

君とは、生涯連れ添うことになる夫の永田さんだったのか、それとも青年Nだったのか…。

紆余曲折(うよきょくせつ)の末、永田さんと河野さんは互いになくてはならない存在となる。「彼女の思いやいちずさは本物で、果たして本当に俺で良かったのか、という思いを日記を読んで強く感じました」

母のような存在

結婚を意識し始めた2人にさまざまな試練が立ちはだかる。永田さんは、恋と短歌にのめり込みながら、研究者への道を模索するが大学院試験に失敗。結婚は先延ばしのままだった。

本書では、将来が見通せない状況に陥った中である日、永田さんが睡眠薬を大量に飲んで自殺をはかったが、未遂に終わったことを明らかにしている。このことは、河野さんも知らないという。

歌人で細胞生物学者の永田和宏さん
歌人で細胞生物学者の永田和宏さん

「河野の日記を公開するのに、自分の都合の悪い部分を隠したり、適当な言葉で上塗りをしたりはせず、とことん書きました。ぶざまな青春の記憶です」

3歳で実母を亡くし、寂しい少年時代を送った永田さんは、父の再婚相手の継母になじめなかった。「河野はある意味、私にとって母親でもあったんですね。彼女はそのことを理解してくれていました」。河野さんとの出会いは、「自分が考えていることをフランクにしゃべれる対象を初めて見つけた」というものだったと振り返る。

ドラマ化

永田さんは短歌結社「塔」を主宰し、宮中歌会始選者を務めるなど歌人として活躍しながら、細胞生物学者として世界的な業績を収めてきた。「河野と出会い、かけがえのない時間を過ごしたことが、自分の人生の中で大きな意味があったと思います」と語る。

本書は新潮社の文芸雑誌「波」での連載時から話題を呼んだ。原作にし、永田さんを柄本佑(えもと・たすく)さん、河野さんを藤野涼子さんが演じる同名のドラマが、今月30日午前3時半からNHKのBS4Kで先行放送、6月にBSプレミアムでも放送予定だ。

ドラマにもなる歌人夫婦の若き日の軌跡は、誠実ゆえに傷つきやすい激しいものだった。「悩み苦しみながらいちずに生きた少女がいて、そんな青春があったことを知ってもらえればと思います」。永田さんはそう語った。(横山由紀子)

ながた・かずひろ 昭和22年、滋賀県生まれ。歌集『饗庭』で若山牧水賞、『風位』で迢空(ちょうくう)賞を受賞。歌集に『メビウスの地平』『後の日々』など。細胞生物学者として京都大学再生医科学研究所教授などを経て現在、JT生命誌研究館館長を務める。

かわの・ゆうこ 昭和21年、熊本県生まれ。44年、「桜花の記憶」で角川短歌賞を受賞しデビュー。平成21年、『母系』で斎藤茂吉短歌文学賞と迢空賞を受賞。宮中歌会始の選者を務めた。22年、乳がんで死去。歌集に『ひるがほ』『歩く』『蟬声(せんせい)』など。

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