9歳で広島市の袋町国民学校(現・同市立袋町小学校)で被爆して孤児となり、知人を頼りに渡った朝鮮半島でも朝鮮戦争に巻き込まれた友田典弘(つねひろ)さん(86)=大阪市門真市=が25日、同小で修了証書を受け取った。友田さんは「まさかもらえると思わなかった。生きていてよかった。夢みたいだ」と喜んだ。
児童約60人が見守るなか行われた修了式。友田さんは時折涙ぐみながら、福田忠且校長から平和記念公園の「原爆の子の像」の折り鶴再生紙で作られた修了証書を手渡され、校歌にじっと耳を傾けた。
昭和20年8月6日の原爆投下時、友田さんは爆心地から約460メートルにある国民学校の4年生。学校にいた児童で生き残った3人のうちの1人だった。
父は既に病死しており、原爆で母と弟を亡くし孤児となった友田さんは親のように慕っていた朝鮮半島出身の男性と韓国へ渡った。
しばらく男性宅で暮らしていたが、男性の結婚を機に居づらくなり、13歳で家出し、路上生活をしていたという。
巻き込まれた朝鮮戦争では、大砲の弾が飛び交う様子も目にするなど過酷な体験も。凍傷で右足の指2本の一部を欠損するなど厳しい生活を続け、24歳で帰国を果たした。
2つの戦争を生き抜いてきただけに、ロシア軍によるウクライナ侵攻には胸がえぐられる。「戦争はあかん。核兵器はあかん」。友田さんは繰り返し訴えた。