一聞百見

「なでしこジャパン」の新星…INAC神戸、成宮唯さん(27)

なでしこに現れた新星、成宮唯さん。所属するINAC神戸で活躍を続ける=神戸市東灘区(鳥越瑞絵撮影)
なでしこに現れた新星、成宮唯さん。所属するINAC神戸で活躍を続ける=神戸市東灘区(鳥越瑞絵撮影)

今年1~2月にインドで開かれたサッカー女子のアジア・カップで、日本代表「なでしこジャパン」に現れた新星である。10代のころから将来を嘱望されながら、遠回りをしてようやくたどりついた「約束の地」。女子プロのWEリーグ、INAC神戸で能力を開花させた成宮唯さんには、前向きに戦い続けてきた者だけが持つ凜(りん)とした力強さがある。遅咲きのなでしこは自らを高めることが女子サッカーの発展につながると信じ、走り続ける。

常に全力で、今も生きる父の教え

女子アジア・カップで相手選手と競り合う成宮唯さん=インド(ロイター)
女子アジア・カップで相手選手と競り合う成宮唯さん=インド(ロイター)

アジア・カップで連覇を狙った「なでしこジャパン」は来年に開かれる女子ワールドカップ(W杯)の出場権は獲得したが、準決勝で中国にPK負け。代表初ゴールを含む3得点を挙げても、「連覇が懸かっていたのに、貢献できずに悔しい」と不完全燃焼の思いが強かった。数日後、自身のツイッターに「これから何が必要か、自分自身に矢印を向け、日々成長する幅を広げていけるよう精進していきます」とつづった。

矢印の意味を尋ねると、こんな反応が返ってきた。「サッカーはチームプレーですが、結局は個人の能力が高いチームが強い。個が強ければ、まとまってさえいればいいチームになると思うんです。なでしこジャパンに何かを還元するには、本当に一人一人が頑張るしかない。レベルアップという点では、技術もフィジカルもそう」。チームが優勝を逃した理由を他人のせいにするのではなく、全てを自らの力不足の中に求める。その気持ちの強さは、子供のころから常に全力でプレーすることを要求してきた父親の影響が大きいのかもしれない。

大学時代までサッカーを続けた父親と地元の強豪、太秦サッカー少年団でプレーしていた兄2人。サッカー一家の末っ子として育った。近所に女子チームはなく、小学2年生で、兄たちを追いかけるようにして同じ少年団に入団。男の子たちに交じってサッカーをすることに、何の違和感も覚えなかった。「ものすごく強くて、全国大会に出場するようなチームでした。上手な子も本当にたくさんいました。自分を女子の選手だとは思っていなかったんです。負けず嫌いの性格なので、男子にも負けるのが嫌でした」と振り返る。当時から小柄だったが、FW(フォワード)やトップ下を任され、大柄の男子を相手に一歩も引かなかった。

自身のサッカー人生を振り返る成宮唯さん。東日本大震災も経験した=神戸市東灘区(鳥越瑞絵撮影)
自身のサッカー人生を振り返る成宮唯さん。東日本大震災も経験した=神戸市東灘区(鳥越瑞絵撮影)

家の前の広場で兄たちと暗くなるまでボールを蹴り、家に帰ってもサッカーの話ばかり。土日はサッカーの試合。経験者の父親は試合の審判を務めたり、日々の練習内容や試合結果を記したサッカーノートをつけたりし、3人に細かくアドバイスした。

「父が言うことは的を射ていることが多くて、納得させられるんです。図星で言われることがうざいので、聞きたくなかったですね。容赦がなかったので…。女子だから負けても仕方がないというのもなかった。もっとこれができたとか、切り返しが遅いとか、ボールを奪われてなんで走って取り返しにいかないのかとか、よく言われました。全力でしないことに対してよく怒られていました」。だが、厳しい指導を守ってきたからこそ、今のプレースタイルがある。攻守の大切な局面に顔を出す豊富な運動量は、なでしこジャパンでも屈指。父親の教えは生き続けている。

目の前に地割れ、感謝の思い胸にサッカー続ける

東日本大震災が発生した平成23年3月11日。日本サッカー協会が運営の一端を担う中高一貫のエリート育成組織、JFAアカデミー福島に所属していた成宮さんは、福島県のJヴィレッジにいた。福島第1原発に近く、事故に伴って国の対応拠点となった施設である。

当時は高校1年生。その日の練習が始まる直前、大きな揺れに見舞われた。「地震が多い地域だったので、また地震だぐらいの感覚でいたら、目の前で地割れが起きたんです。そのときに、いつもと違うと思いました」と振り返る。

U-17時代の成宮唯さん(撮影・山田喜貴)
U-17時代の成宮唯さん(撮影・山田喜貴)

予定されていた練習は急遽中止となり、すぐにチームメートらと施設外に退避。中心施設のJヴィレッジが使えなくなったため、アカデミーの活動も休止となり、いったん京都の実家に戻った。

しかし、被害の大きさになかなか再開のメドが立たず、一時は解散話も浮上。それでも、個人的に練習参加を受け入れてくれるところを探し、大阪体育大学などでトレーニングを積んできた。静岡県御殿場市の御殿場高原時之栖をアカデミーの仮住まいとすることが決まったのは約1カ月後。「福島で活動できない中、施設を提供してもらえたのは、感謝しかない。時之栖がなかったら自分は今、サッカーをしていないと思います」。そこで、高校時代の残り2年間を過ごした。

震災では、津波で家が流される被害に遭った友人もいる。自身がサッカーに打ち込むことについても、考えさせられた。「これでいいのか」との葛藤もあったという。前を向けたのは仲間の存在だ。「これでいいんだと思える仲間、周りの人たちがいた。サッカーを続け、結果で福島の人たちにいい報告をしたいとの思いでアカデミーも再スタートした。その気持ちは常々持っている」と強調する。

同じ年に、サッカーを始めたときからの憧れであり、目標でもあった女子日本代表「なでしこジャパン」が女子ワールドカップ(W杯)で世界の頂点に立った。ひたむきなプレーが被災地の人たちを励まし、勇気づけた。米国との熱戦を制し、主将の澤穂希さんが優勝トロフィーを掲げた決勝戦は、テレビ観戦した。「なでしこジャパンといえば、今でもそのときのメンバーと結果が(多くの人の心に)残っている。偉大なことを成し遂げた。完全にすごいなと思います」。自身が日本代表の一翼を担うようになった今も、尊敬の念は変わらない。

そもそも、中学生から親元を離れてJFAアカデミー福島に進んだのも、なでしこジャパンに入る近道だと考えたからだった。「小学時代の同じチームに(Jリーグの)ガンバ大阪やセレッソ大阪の中学年代のチームからオファーが届いている男の子がいたんです。うちの母親を含めたママ友同士の仲が良くて『実力があるんだし、JFAアカデミーを受けてみたら』という話になりました。初めは(故郷から)遠いし、嫌だったんですけどね。ただ、関西でここまでやれている女子はいないという過剰な自信もあったんです」と打ち明ける。

震災のつらさも味わったJFAアカデミー福島は、自身にとってどんなところなのか。「本当に素晴らしいスタッフと環境がありました。サッカー選手としての土台を作れた時期だと思います」。かみしめるように、そう答えた。

大人のサッカーで味わった挫折乗り越えてプロに

JFAアカデミー福島時代に年代別の女子日本代表に選出され、U-16(16歳以下)女子アジア選手権で最優秀選手となるなど輝かしい活躍を披露した成宮唯さんだが、高校卒業後に加入したなでしこリーグのベガルタ仙台レディースで大きな挫折を味わった。

INAC神戸で練習に励む成宮唯さん(右端)=神戸市東灘区(鳥越瑞絵撮影)
INAC神戸で練習に励む成宮唯さん(右端)=神戸市東灘区(鳥越瑞絵撮影)

取り組んできたサッカースタイルの違いもあり、思うようになじめず、試合にも出場できない。結局、半年で退団。「高校時代には試合に出られない環境はなかったんです。年代別の日本代表にもなっていましたし、天狗(てんぐ)になっていた部分も少なからずありました。自信があったので、試合に出られないストレスに向き合えませんでした。努力と我慢が足りていないことを受け入れられず、逃げてしまったというところです」と打ち明ける。

傷心が癒えたのは、自身を受け入れてくれたスペランツァ大阪で、女子日本代表「なでしこジャパン」で活躍した丸山桂里奈さんや、夫で監督を務めていた本並健治さんらと出会ったことが大きかった。「大阪のチームに行って、足元からしっかり見つめ直してやっていく中で、桂里奈さんや本並監督にもいちから鍛え直されたと思います」。たたきこまれたのは、育成年代のJFAアカデミー福島と大人のサッカーの違い。「簡単に言うと、大人のサッカーは失敗が何度も許されるものではありません。ある意味、勝利がすべて。何年もかけていいチームをつくる方針でもありませんでした」と解説する。

スペランツァ大阪ではチームを運営する会社の斡旋(あっせん)でアルバイトも経験。ジェフユナイテッド市原・千葉レディースを経て、日本女子サッカー初のプロリーグであるWEリーグが発足するのにあわせ、強豪のINAC神戸レオネッサに移籍した。「今はお金をもらってサッカーをしている。サッカーに専念すればよくなったのだから、仕事を全力でするのと同じように、もっと本気でサッカーに向き合うことが責任でもあり、あり方」とプロ選手としての決意を語る。

丸山さん、本並さんとの親交は今も続いている。特に、平成23年の女子ワールドカップ(W杯)優勝メンバーでもある丸山さんについては「身近に見てきた人の中で、本当に一番ビッグなのが桂里奈さんです。オンとオフの切り替えがすごく速かったですし。今の自分がなりたいと想像しているところにいる人。テレビのバラエティー番組に出てとかじゃないですよ。人間的にもそうだし、サッカー選手としてもああなりたいと思います」と憧れを口にする。

2月22日に27歳の誕生日を迎えた。子供のころから厳しく指導してくれた父親。最初はサッカーをまったく知らなかったのに、今では試合のプレーを批評するまでになった母親。末っ子でわがままな自分を大事にしてくれ、いつも受け止めてくれる兄たち。仲のいい家族には専用のラインがある。母親からは「今を大切に生きてください」とのメッセージが届いた。

誕生日に立てた誓いを聞いた。「サッカーでは、WEリーグ優勝すること。そして、なでしこジャパンでレギュラーをとる。けがをしないこと。人としては、自分自身を客観的にみて、大人というと抽象的ですが、落ち着きがあるようになりたいです」

INAC神戸のエンブレムの前でボーズをとる成宮唯さん。リーグ優勝の誓いを立てた=神戸市東灘区(鳥越瑞絵撮影)
INAC神戸のエンブレムの前でボーズをとる成宮唯さん。リーグ優勝の誓いを立てた=神戸市東灘区(鳥越瑞絵撮影)

なるみや・ゆい 平成7年2月22日生まれ、京都市出身。中学、高校時代をJFAアカデミー福島で過ごし、年代別の日本代表で活躍した。ベガルタ仙台レディース、スペランツァFC大阪高槻などを経て令和3年にINAC神戸レオネッサに加入。同年にフル代表「なでしこジャパン」に初招集され、今年初めにインドで開かれた女子アジア・カップにも出場した。154センチ、44キロ。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。

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