原発事故避難先の分校閉所 11歳が未来へ映像残す

富岡第一、第二小三春校。工場の事務所棟の跡地を転用した=10日午後3時50分、福島県三春町(橘川玲奈撮影)
富岡第一、第二小三春校。工場の事務所棟の跡地を転用した=10日午後3時50分、福島県三春町(橘川玲奈撮影)

福島県三春町にある小さな学校が26日、10年半の歴史に幕を閉じる。東京電力福島第1原発の事故の影響で同県富岡町から避難した児童のため、約40キロ離れた三春町に開かれた富岡第一、第二小学校の三春校。閉所を前に、11歳の小学5年生2人が学校の様子を映像に残した。2人に震災の記憶はないが、取材を通じ、避難や学校の歴史を学び、未来へ伝える。

「私は三春校の保健室にいます。今から保健の先生にインタビューをします」

マイクを握り、インタビュアーを務めるのは小学5年の佐藤エンジェルさん(11)。同級生の半谷心花(はんがい・このか)さん(11)がカメラを回し、撮影する。

「先生にとって、三春校とはなんですか」

三春校の5年生は佐藤さんと半谷さんの2人だけ。閉所を前に、2人は三春校に通う児童や教員などにインタビューし、映像として記録した。

2人が0歳だった11年前。原発事故の影響で、富岡町は全町避難を余儀なくされた。町にあった幼稚園や小中学校は継続できず、子供たちは避難先の学校に移らざるを得なかった。

避難先でも富岡町の教育を続けようと、町は避難者が多かった郡山市周辺で学校として使える施設を探した。見つかったのは、同市に近い三春町の工場跡地。自動車部品大手、曙ブレーキ工業が平成23年7月に社屋を提供してくれた。2階建ての事務所棟を教室にし、机やいすなどの学用品は、全国からの寄付でまかなった。震災から約半年後の9月1日、町立夜の森幼稚園、富岡第一、第二小、富岡第一、第二中の1園4校が「三春校」としてスタートした。

開校に携わった富岡町教育長の岩崎秀一さん(62)は開校日を思い出す。

「子供たちのテンションが高かった。久しぶりに友達に会えて安心し、うれしかったのだろう」。避難先の学校でなじめなかった子供に「笑顔が戻った」と話す母親もいた。

当初は幼稚園から中学まで70人ほどの子供が通ったが、10年半の間、人数は徐々に減った。避難先の学校に転校する人、避難指示解除を受け、30年4月に富岡町に開校した「富岡校」に移る人…。最後の年はたった10人になった。

三春校の閉所が決まったのは29年。岩崎さんが当時の5年生に伝えると、こんな声が上がった。「なくなる前に動画とか撮っておきたい」。5年生3人は、三春校の開校準備に当たった教職員らにインタビューし、映像にまとめた。以来毎年、さまざまな角度から児童が取材し、三春校を映像で記録してきた。

そして、最終回の今年。2人が教員や、三春校に通う全員に三春校への思いを尋ねた。

半谷さんは4歳で三春校の幼稚園に入園し、ずっと過ごしてきた。佐藤さんは、3年前に母国フィリピンから三春校に転入。日本語は話せなかったが、先生とマンツーマンで練習し上達した。取材では幼稚園の先生や、日本語を教えてくれた先生にも話を聞いた。

完成した作品のタイトルは「ありがとう 私たちの三春校 思い出を未来につなげよう」。佐藤さんは映像制作を通じ、三春校での学校生活が「いろいろな人に支えられている」という発見があったと話す。

東日本大震災から11年。三春校は「避難先の学校」としての役目を終える。在校生や教職員は学校がなくなる寂しさを抱えるが、震災から時間がたち、富岡町へ戻る人や、避難した場所で生活を再建する人がいることの現れでもある。

原発事故の影響で避難を余儀なくされたこと。10年半、三春町に富岡町の学校があったこと。ここで子供が学び、いろんな人が関わったこと。

半谷さんは作品の中で「三春校のことを、すごく楽しくておもしろい学校って伝えたい」と語る。映像を通し、三春校の日々は未来に伝わる。(橘川玲奈)

動画はユーチューブの「富岡町公式チャンネル」内で閲覧できる。URLは以下の通り。

https://www.youtube.com/watch?v=S9V5dOYK-Wg

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