全員帰国「闘い続く」 拉致被害者家族会結成25年

北朝鮮による拉致被害者家族会は、25日で結成から25年となる。最愛の人を奪われ、再会を切望する家族が全国から結集し、一丸となって政府や世論へ訴えかけを続けてきた。「全員を取り戻す」との決意で、すでに帰国を果たした被害者の家族も協力を惜しまない。だが四半世紀にわたる苦闘を経ても目的に届かない現実に、危機感は募る。

言い訳ばかり

「あれが本当の意味でのスタートやったんや」。有本恵子さん(62)=拉致当時(23)=の父、明弘さん(93)は、平成9年3月25日の家族会結成の日を、そう振り返る。

東京都港区に全国から拉致被害者の7家族が集まった。大半が初対面。横田めぐみさん(57)=同(13)=の父、滋さん=享年87=が穏やかな表情で名刺を配り、重い雰囲気を和ませた。

それぞれの家族が行方不明になってから、すでに15~20年ほどが経過していた。明弘さんはこの間、妻の嘉代子さん=享年94=と自宅のある神戸市から外務省や警察庁、有力政治家らのもとへ出向き、解放を必死に掛け合ってきた。

しかし、「『北朝鮮とは国交がないから』とか『世間に知れたら殺される』とか。言い訳ばかりで結局、ほったらかしやった」。個の活動に限界を感じつつあった中、家族会発足を「スタート」と捉え、事態の好転を期待した。

抱いた希望

「不思議な希望があった」。市川修一さん(67)=同(23)=の兄、健一さん(76)も、当時の高揚感を覚えている。

修一さんは昭和53年8月、交際していた増元るみ子さん(68)=同(24)=とともに行方が分からなくなった。「一緒に浜辺に夕日を見に行く」と言い残し、鹿児島市内の家を出たのが最後だった。

平成8年ごろ、北朝鮮の元工作員が平壌で修一さんを目撃したとの情報が浮上したが、「具体的に何をしようかというと、関連ニュースを確認するくらいしかなかった」(健一さん)。

家族会の結成後、街頭での署名活動などに汗を流した。ただ、すぐには浸透せず、目の前を素通りされることもあった。落胆したが、テレビを通じ、自分が参加できなかった活動でメンバーが声を張り上げる姿を目にし、勇気づけられた。健一さんは「みんな闘っていた。だから自分も、と思えた」と振り返る。

変わらぬ願い

23歳だった昭和53年に福井県で拉致され、平成14年に日本に帰国した地村富貴恵さん(66)の兄、浜本七郎さん(70)は帰国被害者の家族で唯一、家族会の活動に現在も参加。「援護射撃」を続ける。

9年の結成時には兄の雄幸(ゆうこう)さん(93)が表に立ったが、高齢となり、ほどなくバトンタッチした。「きょうだいの中で、自分が一番、かわいがっていた」という妹との再会実現は、喜び以外、なにものでもなかった。

帰国翌年の15年、富貴恵さんら帰国被害者5人が参加し都内で実施された国民大集会では、会場に定員を大幅に超えて来場者が集まり、数千人が入りきれなくなるなど、救出への機運が高まった。

しかし、四半世紀を経て熱は消え去った。願いがかなわぬままこの世を去るメンバーを何度も見てきた。「時間がない」。少ない言葉で危機感をあらわにする。

《政府は断固たる態度で、身柄の返還を要求してほしい》《国民の皆さまに、家族全員が一堂に会することができるよう、お力添えを願う》

25年前の結成会見で、初代代表に就いた滋さんが読み上げた声明文だ。健一さんは、ため息まじりに言った。

「あの時とまったく変わらない思いのまま、闘いが続いているということだ」(中村翔樹、橘川玲奈、入沢亮輔)

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