自分の持ち場で戦う少年たち
ロシアがウクライナへの侵攻を開始する1週間前、AFP(フランス通信社)が2月17日に配信したあるニュースに心が少し揺さぶられた。
ウクライナ南東部マリウポリ近郊の村チェルボネで、ペンテコステ派教会の牧師が運営する施設で暮らす、問題ある家庭出身のおよそ40人の少年たちが塹壕(ざんごう)を掘り始めたというのだ。そのひとり15歳のミハイロ・アノパさんは誇らしげにこう語ったという。
「ロシアが攻撃してくるかもしれないと牧師から聞き、悪夢を見るようになった。今はウクライナ兵を助けるために塹壕を掘っている。僕たちの使命になった」
そんな少年たちを見て、牧師は「ただ心の奥には強い恐怖が宿っている。少年たちは生きてきた大半の時間を兵士の背中を見て過ごしてきた。そして窓の外に広がっているのは前線なのだ」と話す。
戦い方にもいろいろある。少年たちは悪夢を振り払うかのように、誇りを胸に自分の持ち場で戦っている。まぶしく感じた。いざというときに、戦う覚悟のない国家や個人に、神が与えるのは「隷従」だけだ。ひるがえって、平和憲法と日米安全保障条約の下に、自ら戦うことを想像することもなく過ごしてきた私たち日本人はどうか。同じような状況に遭遇したとき、少年たちのように塹壕を掘ることが果たしてできるのだろうか。
周知のこととは思うが、塹壕とは敵の銃砲撃から身を守るために陣地の周りに掘る溝のことだ。リアルに知りたければ、1999年に制作された英国映画「ザ・トレンチ 塹壕」(ウィリアム・ボイド監督)を見るがよい。第一次世界大戦最大の会戦といわれる「ソンムの戦い」の塹壕戦を描いた作品で、極限状況に置かれた若い兵士たちの緊張と不安と絶望の入り交じった感情が、残酷なまで冷徹に描き出されている。
このニュースが配信されてから1カ月が経過した。少年たちの暮らすウクライナ南東部はロシアに制圧されてしまった。アノパさんたちの無事を心から祈る。
「小国民」も銃後で戦った
一夜でおよそ10万人もの非戦闘員が殺戮(さつりく)された東京大空襲から77年の3月10日、靖国神社を参拝し、次いで境内にある靖国会館に足を運んだ。「戦う僕ら小国民」顕彰鎮魂祭に出席して玉串をささげるためだ。斎主は、フランスのドゴール政権下で長く文化相を務めた作家のアンドレ・マルローの研究で知られる仏文学者・評論家の竹本忠雄さんである。竹本さんは国民学校6年生のときに、下町の深川で大空襲を経験し、多くの級友を失っている。
昨年のこと、戦後の日本を憂い自刃した作家、三島由紀夫を追悼する憂国忌(11月25日)の集いで、思索家・実業家の執行草舟さんと初めて顔を合わせた竹本さんはこう語りかけた。
「私と友人たちは、みな子供でしたが、兵隊さんと一緒に戦っていたのです。だからこそ、あらゆる困苦に耐えることができた。私たちは犠牲者ではありません」
この言葉に魂を震わせた執行さんは、発起人代表となって、顕彰鎮魂祭の実現に奔走してこの日を迎えたのだ。
大東亜戦争末期、「一億総玉砕」が叫ばれ、学校の校庭で女子生徒たちはたすき掛けで一斉に薙刀(なぎなた)を振るい、男子生徒たちは竹やりを手に「鬼畜米英」に見立てたわら人形に突撃する。「後の世から見れば、狂気の沙汰に違いありません」と竹本さんはいう。だが、小国民は幼いからこそ、より純粋に日本の勝利を信じ、戦地の兵士と一体となって銃後で懸命に戦い、困苦欠乏に耐えていた。
「かわいそうに、気の毒に」と、悲惨な犠牲者として憐(あわ)れみの対象とするのではなく、「よく戦った、よく耐え抜いた」とたたえることこそが、真の鎮魂になるのではないか、と竹本さんは戦後ずっと思い続けてきたのだった。
もちろん体験者の思いはそれぞれで、竹本さんの考えに反発する人もいるだろう。国の犠牲となったと、国を恨みながら生きてゆくのも人生ではあろう。それは仕方ない。
斎主の竹本さんは祭文をこう締めくくった。
《その多くを焼き亡(ぼろ)ぼした猛火の中から、猛火よりも強く、いま、彼らの殉国の歌声が聞こえてきます。/神とまします英霊に願い上げ奉ります-/たとえ戦死者と呼ばるること適(かな)わぬとも、/せめて今日、/ここ九段の大鳥居の空に、/「戦う僕ら小国民」の精霊(しょうりょう)を迎え、/親しく照覧したまわらんことを!》
この顕彰鎮魂祭が、今後も継続されることを願う。
日本の報道にもの申したい
話を変えよう。ロシアによるウクライナ侵攻の報道についてだ。わが国の報道の多くは「ウクライナの人々が気の毒だ」と、読者・視聴者の情緒を刺激したがってはいないか。けっして悪いことではないが、野蛮な大国に立ち向かう人々の勇気(もちろんそこには悲劇もともなうだろう)を称賛する報道がもっとあってよいのではないか。それができないのは、大東亜戦争時に戦争をあおったという反省、そして「戦うこと=悪」という、戦後日本特有の思い込みがあるからだろう。
モンテーニュは第1巻第1章「人さまざまの方法によって同じ結果に達すること」に面白いことを書いている。人に対して憐れみの感情を持ちやすい、と自分の傾向を分析する彼は、反省をこめてストア学者の言葉を紹介する。
《彼らは言う。「悲しんでいる人たちは助けてやらなければならないが、一緒になってくずおれたり嘆いたりしてはならない」と》
なるほど、一緒になって崩れ落ちてしまったら、助けることなどできるはずもない。私自身について語れば、一連の報道を見ながら、ウクライナの人々に同情し、プーチン大統領への憎悪を煮えたぎらせる。それで完結だ。恥ずかしいことに一ミリも踏み出していない。ところが、塹壕を掘る少年たちの報道は、私を少しだけ動かした。塹壕を掘れない代わりに、自分のできること、すなわちこのコラムを書いている。「だから何なんだ」と言われたら返す言葉もないが。
※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)による。