プロ野球の投手から刑事へと転身し、殺人や放火などの凶悪事件を扱う捜査1課のトップまで務めた大阪府警の江幡和志(えばたかずし)警視正(60)=刑事部参事官=が、今月末で勇退する。プロ野球1年目で肩を壊し、心機一転して飛び込んだ警察の世界。花形の捜査1課を中心に刑事の本流を歩んできたが、第二のプロ人生の終幕を控え、後輩たちに伝えたい言葉がある。「凶悪事件だけを追いかける刑事にはなるな」
「二度と挫折せぬ」
昭和54年11月。茨城県立常北高(当時)3年だった江幡氏は、横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)からドラフト2位指名を受けた。
甲子園の土を踏んだことはない。それでも身長180センチを超える本格左腕は、スカウトの目に原石と写った。背番号はエースナンバー「19」が用意された。
しかし、1年目に肩を壊す。以降はバッティングピッチャーとして、スタンドがファンの熱気で包まれるころには球場を後にした。「やめたい。でも自分には野球しかない」。そんな迷いすら長くは許されない世界。4年目で解雇された。
故郷・茨城から球団の寮へ旅立つ際、地元町長らが万歳三唱で送り出してくれた。期待を裏切り、茨城には戻れない。妻の実家がある大阪へ向かった。
スーパーや鉄工所でアルバイトをしていると、大阪府警に勤めていた義兄から誘いを受けた。それまで警察は苦手な存在。野球一筋のため学力にも自信はなかった。しかし、生活がかかっている。「二度と挫折はしない」との決意で試験に臨み、警察学校に入った。