秋田・潟上国際音楽祭を創設したピアニスト

秋田・潟上国際音楽祭の創設について語る実行委員長でピアニストの千田桂大さん=秋田県潟上市の実家(八並朋昌撮影)
秋田・潟上国際音楽祭の創設について語る実行委員長でピアニストの千田桂大さん=秋田県潟上市の実家(八並朋昌撮影)

秋田県潟上市出身 千田桂大(ちだ・けいた)さん(34)

ピアニストとして欧州で活躍しながら、北東北初の国際音楽祭となる「秋田・潟上国際音楽祭」を提唱・創設した。今年の第1回音楽祭では実行委員長を務め、自らも出演する。「芸術を通じて個々人の自立の大切を訴えたい」という。

パリ・モンマルトルの自宅から、数カ月の予定で帰国したのは令和元年秋。直後のコロナ禍で今も国内滞在を余儀なくされる。

老舗つくだ煮店を営む秋田県潟上市の実家で過ごし、郷土の自然のすばらしさを改めて感じる半面、県民性について「このままでいいのだろうか」と思うようになったのが、音楽祭提唱のきっかけだった。

「秋田では年長者をさし置いて若者が発言してはいけない、周りに同調しないといけないという圧力がすごい。大企業が来ないから経済が発展しない、国の予算が付かないから農業が振興しないと、周囲に依存する傾向も強い」と指摘。

「互いの違いを認め合うことが多様性を生むこと、誰かに頼るのではなく自ら立ち上がるためにはどうすればいいか、自分の言葉で語ることが大切。この言葉を生むのが芸術・文化だと思うんです」という。

ピアノに触れたのは何と12歳。世界的ピアニスト、エリック・ハイドシェック氏のCDを偶然聴いて引き込まれ、聴いたままの音を音符に書いて「ドレミ」と振った。「誰も弾かない家のピアノで一音ずつ鳴らすと色彩があふれて一心不乱になり、気が付くとショパンのノクターンを弾けていた」

レッスンを始め、15歳で全国コンクール最高位に。桐朋学園大でピアノを先攻して3年生になった直後、ハイドシェック氏の来日公演を聴いた。「感動で震えが止まらず、楽屋を訪ねて師事を懇願しました。その場でピアノを弾くと〝一緒に来なさい〟と言われ、そのまま渡仏しました」

内弟子として、芸術は背景の歴史や文化まで深い理解が大切なことを、師匠から実践的に教え込まれた。

ふるさと秋田で個々人の自主自立を強調するのは、こうして運命を自ら切り開いてきたからこそだろう。

音楽祭は7月と10~11月に秋田市の秋田アトリオン音楽ホールや今年開館のあきた芸術劇場ミルハス、酒蔵を転用した潟上市のブルーホールで内外の演奏家や楽団が公演。「参加型の音楽祭で、浅草オペラでは舞台設定を秋田にして民謡も取り入れます」という。

「奈良時代に朝廷が設けた秋田城は、渤海国など国際交流の拠点でした。1300年後の今また秋田を国際交流の拠点にしたい」と意気込む。(八並朋昌)

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