平成23年東日本大震災から11年、熊本や大阪、北海道などでの地震のほか気象災害が相次いだ。昨年末は千島・日本海溝地震の被害想定が公表され、南海トラフ地震と合わせ日本列島の太平洋沿岸を襲う巨大災害に対し「オールジャパン」の備えが呼びかけられている。一方、東日本大震災後の復旧・復興の中でノウハウが蓄積されてきた。「国難級」の災害にどう備えるべきか。東日本大震災の被災地で災害廃棄物処理などを手掛けた建設会社「奥村組」(大阪市)の大塚義一・営業本部技術営業担当部長や災害廃棄物処理の研究者らに聞いた。
■防災のICT化がカギ
東日本大震災の被災地では、津波堆積物を含め13道県で計3千万トン超(建物全壊全焼は10都県で発生)の災害廃棄物が生じました。その処理は、車両を通行させるためのがれき撤去による道路啓開に始まり、現在も進行中の福島県をのぞき、3年を要しました。
災害廃棄物処理が円滑に終了してこそ本格復興は始まります。ただ、災害廃棄物は放射性物質を含むものもあり多種多様で、これらを分別管理し、車両で多数の自治体の処分場や焼却施設等に搬入します。
その過程では国や自治体、毎日数百~数千人の作業従事者、建設会社など多くの人々が関わります。またこれほどの規模の災害は経験がありませんから、通常業務のノウハウでは太刀打ちできません。このため、研究者を含めた多数の関係者の連携協力が不可欠でした。そこで、日々の進捗(しんちょく)状況が誰もが一目で分かり、いつでもどこでも情報が引き出せるようにクラウド化した「統合管理システム」を開発しました。この大震災の経験から生まれたICTシステムは、今後発生が懸念される首都直下や南海トラフの地震などで生じる災害廃棄物処理のシミュレーションができるように開発を進めています。
このシステムは各自治体が事前に策定すべき処理計画や被災想定地域で処理に関わる事業者の事前教育への貢献のほか、住民の方々に公開し被災後の社会状況を「見える化」し、大災害への備えに役立ててもらうことも検討しています。
東北の現場でまず目に焼き付いたのはがれきに埋もれた家族の写真など被災前の生活ぶりがしのばれる品々でした。こうした住民の方々の思いをくまずして復旧・復興は進められません。私が最初に岩手県山田町に赴いた際、明治29年明治三陸大津波地震の記録を読みました。その内容は眼前の被災地の風景そのものでした。われわれの暮らしは自然の恵みとリスクと表裏一体であり、そのリスクを直視してこそ歴史は続くのだと感じました。自然災害は避けられませんが、国民が知恵を出しあい乗り越えられると信じています。
【奥村組震災伝承プロジェクト】奥村組は東日本大震災発生から10年を振り返る「東日本大震災伝承プロジェクト」を実施。被災地で活動した社員や震災後に入社した若手社員らが参加し、事業の検証と次の災害への決意を記した記録誌「この先を創る。あの日を想う。」や社員らが経験を語る動画などを作成した。同社の特設ホームぺージ(https://www.densho-okumura.com)で順次公開予定。