発明から55年、点字ブロックは岡山で生まれた

白杖を手に登校する県立岡山盲学校の生徒。校内には点字ブロックが敷設されている
白杖を手に登校する県立岡山盲学校の生徒。校内には点字ブロックが敷設されている

視覚障害者の通行を補助する点字ブロックは3月18日、発明から55年。今や世界中に普及したバリアフリー設備を発明したのは岡山県倉敷市出身の発明家、三宅精一氏(1926~1982年)だ。三宅氏が創設した財団は「視覚障害者の社会参加を支援したいという三宅氏の精神を継承し、安全な交通を実現していきたい」と話している。

最初の230枚

「おはようございます。きょうもお元気ですか?」朝のあいさつを元気よく交わす生徒と教師の日常の光景。生徒は手に持った白杖で足元の点字ブロックを確かめながら歩いている。岡山市中区にある岡山盲学校の登校風景だ。

同校では全盲や弱視といった視覚障害のある37人が学ぶ。敷地内では、屋内・屋外の床や路面に点字ブロックが敷設されている。

点字ブロックを発明した三宅精一氏(安全交通試験研究センター提供)
点字ブロックを発明した三宅精一氏(安全交通試験研究センター提供)

同校から北西へ約1キロ。交通量の多い交差点には「点字ブロック発祥の地」と刻まれたモニュメントが立つ。点字ブロックが昭和42年3月18日に世界で初めて敷設された場所であることを記念し、平成22年に立てられた。

モニュメントには、盲学校の生徒が登下校の際に利用していた交差点を安全に渡れるよう、横断歩道に230枚の点字ブロックが敷設され、生徒たちが渡り初めを行ったことが記されている。

世界に普及した点字ブロックの歴史は、岡山の盲学校の生徒たちの足元から始まったのだ。

愛犬家つながり

点字ブロックを発明した三宅精一氏は大正15年、岡山県倉敷市生まれ。商業学校を卒業し昭和20年の復員後、家業の青果店を継ぐ。36年ごろ、岡山市内に転居、旅館業を始めた。

一方、動物好きで愛犬家でもあった三宅氏は日本では珍しかったセントバーナード犬を飼っていた縁で、同じく犬好きだった視覚障害者団体「日本ライトハウス」の理事長、岩橋英行氏と交流を持ち、障害への理解を深めていった。

三宅氏は、視覚障害者が道路を横断しようとしていた際、その脇を車が勢いよく走り抜ける場面に遭遇。視覚障害者に危険箇所と安全地帯を知らせるにはどうすればいいかを考えるようになったという。

点字ブロック発祥の地にはモニュメントが建つ=岡山市中区
点字ブロック発祥の地にはモニュメントが建つ=岡山市中区

40年1月、足裏の触覚を活用するアイデアをひらめき、突起のあるコンクリートブロックを考案。点字という言葉を盛り込むことで、視覚障害者のための設備だとわかるよう「点字ブロック」と名付けた。

発明された当初、点字ブロックの色は、コンクリートの灰色だった。その後、弱視者にも道路と見分けやすいよう44年ごろ、黄色の着色がなされたブロックが敷設されるようになった。 また、ブロックは発明当初、半球状の突起が並ぶ「警告ブロック」だけだったが、50年には方向を指示する線状の突起が並ぶ「誘導ブロック」が誕生するなど、改良が重ねられた。

現在設置される点字ブロックは平成13年に定められたJIS(日本工業規格)に基づき、突起がかつての半球状(ドーム型)から上部が平たくなった半ドーム型のブロックとなる改良が加えられている。

150カ国以上で

点字ブロックは、社会に広く受け入れられるようになっていく。昭和45年3月には、大阪府立盲学校(現・大阪南視覚支援学校)の最寄り駅である旧国鉄阪和線の我孫子(あびこ)町駅(大阪)のホームにも導入された。国鉄での敷設第1号だった。

旧国鉄の駅で点字ブロックを初めて採用したのは阪和線我孫子町駅だった(安全交通試験研究センター提供)
旧国鉄の駅で点字ブロックを初めて採用したのは阪和線我孫子町駅だった(安全交通試験研究センター提供)

初代理事長を三宅氏が務め、点字ブロックの普及や啓発などを目的に49年に発足した一般財団法人「安全交通試験研究センター」(岡山市)によると、世界150カ国以上で点字ブロックが採用されているという。

同センターは「社会参加を目指す視覚障害者が堂々と歩ける道をつくるという三宅氏の精神を受け継ぎ、安全な交通を実現できるよう努めていきたい」と話している。(高田祐樹)

会員限定記事会員サービス詳細