家族がいてもいなくても

(726)なにげない、ある雪の日に

春が来た! と思っていたら、朝から雪が降っていた。

目覚めた私は、すぐにペレットストーブをつけ、部屋が暖まるまで、ベッドに戻って窓から降りしきる雪を眺めていた。

風に舞いながらとめどもなく降る雪が、見慣れた世界を清浄なものに変えていく。

これは、この冬の見納めの雪かも、と思いつつなんだか感傷的な気分になっていった。

長引くコロナ禍の中で、どこにも行かず、会いたい人にも会わず、にいると気持ちが萎えてくる。

でも、「頑張らなくちゃねえ」などと自分で自分に言い聞かせつつ、その日の朝が始まった。

朝食後は、1人、机の前に座って仕事をしていた。

ふと気づいたとき、時計の針が12時を指していた。

なにかをやっていると、つい時間を忘れる。それで、食事の時間にも遅れがちな私だ。

慌てて、食堂棟に行かねばと傘を探したものの傘がない。

あきらめて、コートを頭からかぶり、降りしきる雪の中、坂道を下り食堂棟へと向かった。

この日の厨房(ちゅうぼう)には、新人料理人のミカミさんがいて、なんだか懐かしいナポリタンとサラダがカウンターに並んでいた。

それらをお盆に載せ、先に来ていた友人と同じ席についた。

なにげなく見回すと、食堂には、一緒に練習を始めた「原っぱ」人形劇のメンバーが、あっちにもこっちにもいる。

ヘビや主人公のうりさん役などの面々が、そろって同じナポリタンを食べている。

食べながら、「スマホの電話代が高い」と言ったら、「契約を見直さなきゃだめよ」と言われ、「それがわけわかんなくてねえ」などと、とりとめのない話を交わしていた。

そのとき、ふっと思った。

この空間のこの親密感はなんと呼べばいいのか、と。

初めてここに来た頃は、食堂にいても、なにかよそ者気分で緊張していた気がする。

それが、1人暮らしにふと心細さを覚えたりしても、食堂などに来て、みんながいるとほっとするようになった。

家族じゃないのに家族みたいな、遠慮のないこの不思議な間柄をなんと呼べばいいのか。

数年かかったものの、私もついにここの住人の一人になったのだ、という思いが湧いた。

朝からずっと雪が降りしきっていた、なにげないこの年のこの日を忘れずにいようと思った。

(ノンフィクション作家 久田恵)

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