海辺の様変わり「辛い」 全町民避難続く福島・双葉町

東日本大震災から11年の朝、全町民避難が続く双葉町の海岸を訪れた白坂正次さん=11日、福島県(芹沢伸生撮影)
東日本大震災から11年の朝、全町民避難が続く双葉町の海岸を訪れた白坂正次さん=11日、福島県(芹沢伸生撮影)

東日本大震災から11年を迎えた福島県双葉町の海岸。午前6時前、同県棚倉町の白坂正次さん(72)は、水平線から昇る朝日を待っていた。

白坂さんの娘は双葉町に嫁ぎ、震災発生時は隣の浪江町に住んでいた。みんな無事だったが、娘の家族に会えたのは震災から3日ほどしてから。原発事故で大混乱の中、やっとの思いで再会を果たした。「会うまでが本当に長かった」と白坂さんは振り返る。双葉町では東京電力福島第1原発事故で今も唯一、全町民避難が続いている。

白坂さんの関係者には津波で亡くなった人もいた。白坂さんは10日から県内の海岸線を北から巡り、犠牲者の冥福を祈り続けてきたという。

白坂さんにとって、双葉町の朝日には特別な思いがあった。震災の数年前、この海岸で孫と一緒にビデオを録った思い出があるからだ。「日の出を録って南にカメラを振ると原発が見えてね。松林があって砂浜が続いていた」と懐かしむ。

真新しい防潮堤から、スマートフォンで日の出を撮影した白坂さんは「様変わりして違和感がある。きれいな風景が失われて辛い」と話していた。

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