13勝しながら力の限界を感じ「引退」を決意した小林を当時のマスコミは「潔し」とか「男の美学」と報じた。そして小林の準備している自叙伝のタイトルが『男はいつも淋しいヒーロー』と分かった。〈格好つけて…コバさんらしいわ〉と思った。
昭和58年10月21日、阪神はナゴヤ球場で中日と戦った。その夜、筆者は選手宿舎「都ホテル」のロビーで、外出している小林の帰りを待った。どうしても聞いておきたいことがあったからだ。
それは「引退」をスクープしたことで小林の邪魔をしたのではないか―という思いからだ。実はこの騒動の最中、掛布にこんなことをいわれた。
「龍一、惜しまれながら野球を辞めることが美しいのか? じゃぁ、ボロボロになるまで野球を続けることは汚いことなのか? ぼくたちが引退することをきれいとか汚いとか、そんな言葉で表現してほしくないんだよ」
掛布の目は真剣だった。
「辞める―ってことだけが、ボクたちプロ野球選手に唯一、許された〝決断〟なんだ」
選手たちはプロ野球界に入るときから大きな「自由」を奪われている。いまでこそ、FA権が認められたものの、ドラフト制度がある以上、誰もが自分の好きな球団に入れるわけではない。トレードを拒否することもできない。
「拒否するってことは野球を辞めるってことなんだよ。〝引退〟の決断は誰にも邪魔をされたくない。コバさんもきっとそう思っている。いくら仲間でもそこの部分には立ち入ることはできないんだよ」
それはマスコミとて同じだろう。
深夜近くになって小林が宿舎に戻ってきた。筆者の顔を見た。もう怒ってなさそうだ。
「なんだよ、こんな遅くに」
「ひとつ聞いていい。オレ、コバさんの引退の邪魔をしてる?」
「あったり前だろう!」といいながら顔は笑っていた。
「オレとしては引退を共同発表でみんなに知ってもらおうと思っていたんだ。それが、あんな形で出てしまって、正直いって戸惑ってる。でも、もういい。お前は気にしなくてもいいよ」
最後の言葉はいつもの「兄」のような優しさがあった。(敬称略)