津波で教職員と児童84人が犠牲となった石巻市立大川小。6年生だった次女の真衣さん=当時(12)=を亡くした。
今年も3月11日がきた。時計の針が午後2時46分をさした。鈴木典行(のりゆき)さん(57)は遺族らの輪を離れ、近くの山裾まで駆けた。ピンク色のスイートピーの花束をそっと、置いた。サイレンが響いた。
「怖い思いをしたんだろうな。元気に帰ってきてほしかったな」
平成23年3月13日、震災から2日後。がれきが散乱する学び舎。山裾の土を手で少しずつ、かき分ける。たくさんの子供たちが土の中から見つかった。真衣さんの姿もあった。
「立っている状態で、眼鏡もかけたまま。眠っているだけで、起きるんじゃないかと思った」
「真衣!」典行さんは叫んだ。返事はなかった。
× × ×
「バスケやったらいい? バレーやったらいい?」
中学の入学を控え、部活の選択に迷っていた真衣さんは典行さんに尋ねた。
好きな方をやればいいと伝えると、「じゃあバスケ」と真衣さんは答えた。
典行さんはミニバスケットボールチームのコーチをしていた。練習場所は大川小の体育館。真衣さんもそのチームの選手で、背番号7番、フォワードだった。
「お父さんがコーチだったのは、嫌だっただろうな、みんなの前で叱られるのも嫌だったと思う」
震災前の2月に行われた試合で真衣さんは突き指をした。「痛いんだったら替えるぞ」。典行さんが厳しく言うと、「頑張る」と、泣きながらコートに戻った。試合に勝ち、真衣さんに笑顔が戻った。
仲が良かった、と思う。車で出かけるとき、真衣さんはいつも助手席に座った。こたつでテレビを見ていると、もたれかかってきた。いつも、そばにいたがった。
× × ×
震災遺構として、昨年7月から一般公開が始まった大川小の校舎だが、保存か、解体か。意見が割れたこともあった。
遺族会の会長だった典行さんは、すべてを残したいと思っていた。大川小で被災した卒業生からも保存を求める声が上がり、建物全体の保存が決まった。
親世代が担ってきた伝承を卒業生ら若い世代が受け継ぐことに期待している。
震災から11年。大川小を取り巻く環境も変わった。それでも変わらない思いがある。
「真衣に会いたい。ただ、抱きしめたい」(本江希望)