小林繁伝

騒然とする阪神球団、彼の真意は? 虎番疾風録其の四(4)

「引退」のスクープを受けて、頭をかかえて記者会見する小林=昭和58年10月、神宮室内練習場
「引退」のスクープを受けて、頭をかかえて記者会見する小林=昭和58年10月、神宮室内練習場

『小林引退』の記事が出たその日(昭和58年10月19日)、球団は騒然となった。ヤクルト戦(神宮)が雨天中止となり、虎番記者たちは神宮室内での練習を終えた小林を取り囲んだ。

筆者もそこにいた。小林は不機嫌そうな顔をして視線も合わせてくれない。他社の記者から質問が飛んだ。

――お父さん(進さん)と「引退」について話し合ったんだって

「ああ、2年ぐらい前にね。あのときはまだ引退なんて考えてなかった。ただ〝その時がきたらすっぱりと辞めるよ〟とは言ってある」

――力の限界を感じているのか

「感じているよ。全盛期に比べたら力の衰えをね」

――自叙伝を出版するのか

「うん、準備している。でも、辞めてから出すつもりはない。現役の間に出したいと思っている」

――来季はどうするのか

「〝来季もやります〟と書いとけば。だって、オレより勝っているピッチャーはウチにはいないんだもん」

抜かれたら否定したい。新聞社の悲しい習性か、このときも「来季もやります」の言葉に反応して『小林、引退否定』と書いた新聞社もあった。

神宮の室内練習場では急遽(きゅうきょ)、大阪から駆けつけた小津球団社長と安藤監督が厳しい表情で話し込んでいた。

安藤監督は8月に小林から「辞めたい」と打ち明けられ、以来ずっと慰留していたという。そして小津社長は「彼(小林)の性格なら、引退もあり得ることだ。無論、いま引退されてはチームにとって大変なことになる」と語ったものの、いったん口に出したことを説得されて翻すような小林ではない。慰留しても無駄なことは2人が一番よくわかっていたのかもしれない。筆者は再び鳥取の進さんに電話した。

「そうですか。あの子がそう言いましたか。みじめな姿をさらけ出してまで野球は続けたくない―というのがあの子のプロに入ったときからの気持ちなんです。それがあるから今日までやってこれた。あの子の言葉のニュアンスから気持ちを察してやってください」

『10月22日 小林ラスト登板』。20日のサンケイスポーツにはそんな記事が載った。(敬称略)

■小林繁伝(5)

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